【プロ野球】野村再生工場の最高傑作~田畑一也

ヤクルトの本拠地 神宮球場

ヤクルトの本拠地 神宮球場(写真:photoAC/acworks)

ヤクルトの「再生工場」は健在だった。20年10月1日、前年限りで阪神を自由契約となり、四国アイランドリーグ・香川を経て、ヤクルトでNPB復帰した歳内宏明が、1829日ぶりの1軍勝利を挙げた。「再生工場」とは、20年2月に亡くなった野村克也氏が、他球団で成績が下降した選手や成績を残せなかった選手を次々と活躍させた再生術のこと。その「最高傑作」と呼ばれた田畑一也は現在、恩師に施された術を独立リーグの選手たちに施している。

 

 

短所を褒められた

田畑と野村監督との出会いは、ダイエー(現ソフトバンク)からヤクルトにトレードされた96年。社会人野球を経て、92年にテストでプロ入りしたしたものの、それまでの田畑は4年間で2勝2敗と鳴かず飛ばずだった。そんな崖っぷち男に、前年はチームを日本一に導いた指揮官が春季キャンプのブルペンで突然「お前、ええコントロールしとるな。ええ雰囲気しとる」と声をかけた。自分は力投型であって、制球はそんなによくない…はず。なかなか褒めないことで有名な同監督に短所と思い込んでいたものを褒められたことで、田畑は「え? そこ褒める?」と衝撃を受けた。

まさかの褒め言葉で、正しいスイッチが入った。速球派投手は制球をおろそかにしがいがちだが、田畑は制球力を磨き始めた。すると投球に安定感が増し、開幕ローテーションの一角に抜てきされた。相手が嫌がるように短所を指摘するのではなく、あえて褒めることで気分よく伸ばす。これまで挫折を経験したであろう男たちをうまく扱う再生工場の秘密が垣間見える。

 

反骨心に火をつけられた

野村監督によって、眠っていた闘争心も思い出した。移籍1年目から先発ローテ入りしたものの、1勝した後に4連敗。中継ぎに降格させられた。その際、「お前の腰の回転は横。サイドで投げてみろ」と言われたのだが、当時の田畑は納得がいかず、悔しさからオーバースローのまま投げ続け、試合で結果を出した。

 

登板後、同監督に呼び出された。サイドで投げなかったことを怒られると覚悟したが、田畑を待ち受けていたのは再びまさかの言葉だった。「お前に足りないのは、今日みたいな“なにくそ”という闘志だ。忘れるな!」。古巣では活躍できず、負け犬根性が染み込んでいた自分に気づかされた。このシーズン12勝を挙げた田畑は、翌97年も15勝をマーク。捕手の古田敦也とともに最優秀バッテリー賞を受賞した。

 

 

やる気スイッチは人それぞれ

投手としてブレイクしたのは2年間だけだったが、現役引退した02年からは巨人で長年スコアラーを務めた。その後、巨人とヤクルトの投手コーチを経て、19年11月にはプロ野球独立リーグ・BCリーグの富山GRNサンダーバーズの監督に就任。ヤクルト時代の野村監督と同じように、選手の負け犬根性を払しょくし、短所を伸ばす手助けをする立場となった。

 

「野村監督から学んだ指導者としてのヒントは、やっぱり1人ずつ性格が違うこと」と話す。短所を伸ばす方法も、自信を持たす方法も、“やる気スイッチ”の場所は選手によって人それぞれ。しっかり見極めて選手を正しい方向へ導く。「田畑再生工場」で開花させた田畑2世をNPBへと送り込むことこそが恩師への恩返しと考えている。

 

詳細は『証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと』(宝島社)で。

 

(mimiyori編集部)