これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。
秋山木工は迎賓館、国会議事堂、一流企業などで使われる特注家具を製作している。年商は20億円。創業者であり、代表取締役社長の秋山利輝は、重厚感のある家具作りだけでなく、江戸時代に盛んだった丁稚制度、徒弟制度による職人育成で話題となってきた。
住み込み、丸刈り、携帯禁止…。働き方改革の波に逆らう教育方針で、13年には研修生が技能五輪全国大会で金、銀、銅メダルを独占した。
気休めの優しさは長期的視点に立てば、いったい誰のためになるのか。厳しいながらも、着実に職人と人間性を育て上げている自負がある。第3回は時代遅れの指導をほどこす理由。
新人は男女ともに丸刈り
30年以上も続いているルールの1つが、新人は男女に関係なく、全員が丸刈りになる。「頭を丸めると余計な煩悩が消える」。入寮して10日後に、自己紹介ができるか、「職人心得三十箇条」を唱和できるか、木材の名前を30種類挙げられるか、などの試験を実施する。この試験に合格すると、頭を丸める資格を得たことになる。
儀式として、作業場にシートを敷き、まずは自分ではさみを使って髪を短めに切る。その後に、ポリ袋で作ったポンチョをかぶってパイプ椅子に座り、先輩たちがバリカンで刈る。
儀式として、作業場にシートを敷き、まずは自分ではさみを使って髪を短めに切る。その後に、ポリ袋で作ったポンチョをかぶってパイプ椅子に座り、先輩たちがバリカンで刈る。
親からの仕送りや小遣いも禁止されている。弟子は給料から各自が寮費を支払い、食費や光熱費などは寮ごとに毎月1~2万円を積み立てて支払う。
手元に残る3万円で、「かんな」や「のみ」など仕事に必要な道具を順番に購入させている。道具は職人にとっての命。必ず自分の給料で買わせるようにしている。
厳しさの根源は親孝行
秋山は丁稚を褒めたことがない。その根本には、「ふつうの職人」ではなく、全員を「できた職人」に育てたいという思いがある。「できない」ことを少なくするために、叱り続けてできるようにする。あえて後輩が見ている前で、先輩を怒ることもある。
厳しい教育方針の理由の1つに親孝行がある。
厳しい教育方針の理由の1つに親孝行がある。
自分の両親を喜ばせられない人間が、他人様の喜ばすことなんてありえないと考える。見習いを含めた丁稚生活の5年間は電話禁止だが、手紙は奨励している。
また、丁稚は毎日の終わりに、その日の仕事内容と反省をスケッチブックにまとめ、兄弟子がアドバイスを記入。1冊書き終わるごとに、秋山はそれぞれの親や先生などに送り、仕事ぶりや成長の様子を報告する。その上で、親には叱咤激励のメッセージを書き込んで返送してもらい、丁稚に返却する。
スケッチブックは5年間で70冊ほどになり、それまで仲の悪かった親子でも絆が深まっていくのを感じるという。親の温かい愛情に改めて触れると、「自分はみんなに育てられている」と自然と感謝の心を持つようになる。
そういった姿に接することがうれしくて、秋山はここまで仕事を続けてきた。
日本一の職人を1人でも多く
丁稚として4年間の下積み生活を終えて試験に合格すると、晴れて一人前の「職人」となる。職人になると待遇は一変し、秋山も呼び捨てではなく、「君」付けで名前を呼ぶようになる。職人になってからの4年間は「お礼奉公」にあたり、傘下グループ会社の工場で腕をふるう。
そして職人として4年間働いた後は、自動的に退職させる。8年で辞めさせるのは、職人として移籍を繰り返した秋山と同じような経験をして成長してほしい、自分を超えてほしいという願いからきている。
弟子には、年1回行われる職人の腕を競う大会「技能五輪全国大会」での入賞者が多数いる。13年には同大会で金、銀、銅メダルを独占。弟子の中には24歳で毎月、年齢の倍以上の給料を受け取っていた青年もいたという。
弟子には、年1回行われる職人の腕を競う大会「技能五輪全国大会」での入賞者が多数いる。13年には同大会で金、銀、銅メダルを独占。弟子の中には24歳で毎月、年齢の倍以上の給料を受け取っていた青年もいたという。
また、「一流の職人になるには、一流をたくさん吸収しなければいけない」という方針を持つ。丁稚たちに一流バレリーナが出演するバレエを鑑賞させるなど、”心の栄養”も用意することを忘れない。
リーダーは丁稚の10倍働く
丁稚時代の弟子には年10日ほどの休みが与えられるが、秋山が休むことはほとんどない。せめて正月だけは、と思うのだが、1年の計を立てる最も大事な日だと思うと休む気になれない。「職人を育てるのは自分のためでなく、この日本をよくするため。僕を超える職人を最低でも10人育てない限り、社会への恩返しはできない」。
丁稚の10倍は働く。それがリーダーなのだと信じている。
秋山利輝(あきやま・としてる)
1943年、奈良県生まれ。中学卒業とともに家具職人の道を歩み始める。1971年、川崎市に秋山木工を設立。現在は、年間売上20億円の有限会社秋山木工代表取締役とともに、若手職人を育てる「一般社団法人秋山学校」代表理事兼任。秋山学校は人間性を重視した独特の職人育成制度で業界内外から注目を集め、国内はもちろん、海外からも多くの人が見学に訪れる。11年に秋山木工、秋山学校で撮影されたドキュメンタリー映画「わたし家具職人になります」が公開された。
丁稚の10倍は働く。それがリーダーなのだと信じている。
秋山利輝(あきやま・としてる)
1943年、奈良県生まれ。中学卒業とともに家具職人の道を歩み始める。1971年、川崎市に秋山木工を設立。現在は、年間売上20億円の有限会社秋山木工代表取締役とともに、若手職人を育てる「一般社団法人秋山学校」代表理事兼任。秋山学校は人間性を重視した独特の職人育成制度で業界内外から注目を集め、国内はもちろん、海外からも多くの人が見学に訪れる。11年に秋山木工、秋山学校で撮影されたドキュメンタリー映画「わたし家具職人になります」が公開された。