新型コロナウイルス感染拡大第3波の到来と共に、飲食店への時短営業が要請され始めた。
経営と安全のはざまで試行錯誤を続けてきた外食産業だったが、2020年の終わりを目前に、再び窮地に立たされた。
あまたの荒波を越えてきた、飲食業界大手のDDホールディングス(旧ダイヤモンドダイニング)にとってもただ事ではない。
外食産業のファンタジスタと呼ばれる松村厚久代表取締役社長グループCEOの歩みを振り返るコラム。
第2回の今回は、上京した松村氏が「商売」を学んだ場所について。
きっかけは「サイゼリヤ」
松村氏が、上京し経営の極意を学んだ場所が、のちに国内外に最大150店舗以上を展開することになる「マリアーヌ商会」(現・サイゼリヤ)だった。
当時からミラノ風ドリア380円、イタリアンワイン1杯100円という低価格帯で勝負し、結果ほとんどのお店が繁盛。どんどん事業を拡大していった。
常に店の前に行列ができている繁盛店でバイトしていたのが松村氏だった。
お客さんが口々に「美味しかったよ」と言って満足げに帰って行き、バイトの評価もしっかりしているので頑張りに比例して時給が上がっていく。
この恵まれた環境で、松村は徹底的なコストカット戦略を学ぶとともに、飲食店経営の奥深さに触れ、いつか自分の飲食店を開きたいと考えるようになった。
バイトの理由は元カノに会いたいから
もともと接客業に興味があったのかと思いきや、サイゼリヤでバイトを始めた理由は、大学時代に付き合って早々に振られてしまった彼女に会いたいからだという。
彼女とデートで使っていた店が、イタリアンレストランの「サイゼリヤ」。ここでアルバイトをしたら、また彼女に会えるかもしれないと思ったそう。
つまり、彼女さんに振られることなく、普通に会える関係性だったのなら、サイゼリヤでバイトを始めることもなかったかもしれない。とすれば、経営に興味を持つこともなく、理系大学生として順当な道を歩んでいただろう。
彼女さんが、この偉大な経営者を生み出したと言っても過言ではない。いや過言か。
六本木の“黒服四天王”
失恋を経て、バイトの中で最も高い時給1100円をもらうようにもなると、次に興味を持った業界は、低価格帯飲食店の対極にある多額な設備投資をした高級エンターテインメントサービス業。就職活動の結果、1990年、当時全盛を誇っていた有名ディスコを複数経営していた日拓エンタープライズに入社した。
最初の仕事は、六本木のディスコ「AREA(エリア)」の黒服だった。
しかし、すぐにバブル崩壊のあおりを受け、客足が激減し、集客のためにお見合いナイト、ボディコンナイトなどさまざまなイベントを企画し、テレビ局や雑誌社に売り込んだ。
逆にテレビ局から「Tバック運動会をやろうよ」と言われ、実際に企画し、テレビ番組で紹介された後は、ものすごい数のお客様が入った。メディアのパワーを痛感し、この時に培った集客のノウハウが、後々非常に役立つことになる。
サービス、イベント、企画力、集客力、人脈で抜きん出ていた松村氏は、六本木で知らぬ者がいない雑誌「heaven’s DOOR」で特集され、「黒服四天王」の一人として紹介されるようになる。
(つづく=mimiyori編集部)
※これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラムです。
新型コロナウイルス感染拡大による影響と闘う各業界の方々へエールを。