日本で、いや世界で一番、靴下への情熱があふれ、「靴下の神様」と呼ばれたタビオの創業者・越智直正さん。
2008年に代表取締役を退き、御年81歳、会長を務める。
自宅を出発するのは朝6時15分、7時には出社、さらに今度は2020年9月下旬ごろから、Twitterを開始した。
商売の真髄をまとめた名言が日々閲覧できるほか、社長自らがパソコンと対峙(じ)し、送られてくる質問に一つ一つ答えている様子も掲載されている。
さすが、一代で会社を築き上げた81歳、なめたらあかん!
越智会長の信念について、今回は後編をお届け。
「屑(くず)下」って?
それでも全ての靴下を認めるわけではない。
もちろん自信を持って商品を出しているが、消費者によっては、買っても用途が合わず、たんすの中に眠る靴下が出てきてしまう。
それを会長は「屑下(くずした)」と呼ぶ。
単なるクズならゴミとして処分されるが、たんすの中の屑下は処分もされず、かといって使われもせず、たんすの肥やしという不遇の生涯を送ることになってしまうことを絶妙に言い当てている。
そこのあなた、あなたのたんすに悲しみにくれている“屑下”はいませんか?
屑下から靴下へ、または再利用で靴磨きなど、次への一歩を踏み出させてあげたいものだ。
最新機器を使わないと滅びる
こうして厳しい時代を生き抜き、結果を残した看板経営者にありがちなイメージは、古き良きものを最良と信じ、新しきを受け入れない姿勢。
しかし、会長は違う。最新機器を使わない会社は滅びるとして早々に着手している。
パソコンが出始め、まだ高級品だった時代に、会長自身がいち早く、在庫管理への有用性を見出し、導入を決定した。
しかし、そこまでが会長の仕事であり、理解することは社員の仕事と考える。
「中国の歴史に残っている人を見てごらんよ。己の能を使った者じゃない。部下の能を使ったヤツが歴史に残ってるよ」
「社員に”やれ”っちゅうてね、”出来ない”って言われたらもうドツき回す(笑)」
決して社員をコケにしているわけではない。
自分が分からないことがあれば、今でも、頼れる社員に質問する。
「下問(かもん)を恥じるな。知っていれば、赤子にでも教えてもらえ」
何歳になってもその1年は一度だけ
昭和40年代には借金7000万円を背負い、不渡りまであと2日で200万円足りず、銀行に泣きついたかと思いきや、支店長を待つ間に居眠りしたり、と危機も味わったが、社員と乗り越え、今のタビオを作り上げた。
2008年に長男に社長の座を渡したのは、一線を退きたいわけではなく、足を冷やすのは良くないと人間ドックで注意を受けたから。もちろん反抗したが、奥さんに押し込められたそう。
今は奥さんの目を盗んで、1月2月の寒い時期以外は基本的に脱いでいるというが、靴下屋としてのプライドと元気は健在だ。
会長となっても、生涯現役で靴下作りに携わっていくことで、創業者としての責務は果たすつもりでいる。
2009年からは、かねてからの夢だった「靴下のための綿花栽培」を奈良県広陵町で始め、今では栽培面積も8ヘクタールと、国内最大の規模になったという。
また今、日本で販売されているソックスの約9割が、中国をはじめとする海外製で占められている中、タビオの商品は日本製9割以上を維持し続けている。
コロナを経て、様々なことが変化していく中、タビオは、休耕田の活用や、日本の靴下工場に活躍する場を提供するという責任も負いながら、靴下だけでなく、日本の産業全体を引っ張り続けていくだろう。
「25歳は1年しかない。26歳も1年しかないんだよ」
若い頃、親から、先生から、似たような言葉を言われた経験がある人も多いだろう。
でも、81歳も1年しかない。82歳も1年しかない。
いつだって、何歳になったって、その年、その月、その日は一度しか味わえないことを忘れてしまっている大人が大勢いるのではないか。
それを思い出させてくれるのが、会長の生き様である。
(終わり=mimiyori編集部・五島由紀子)
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