【ビジネス】経営哲学=ヨシダソース 吉田潤喜会長兼CEO 無一文から億万長者に! アメリカンドリームの体現者③

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(写真:photoAC/まやー)※写真はイメージ
世界中で外出、外食が控えられている今、自宅で活用できるソースや調味料に注目が集まっている。ヨシダソースは「アメリカ生まれの日本の味」として米国をはじめ、日本、欧州、中南米、アジアで愛用されている万能調味料。京都市生まれの創業者、吉田潤喜会長兼CEOは明るく愛嬌たっぷりのキャラクターを武器にソースを売り上げ、現在はソース業界を超え、米国のビジネス界で活躍している。その生い立ちと起業の過程を知れば、コロナ禍による経済不安を少なからず抑制できるかもしれない。
 
 

下駄と着物とカウボーイハット

いざ販売する段階となって、地元のグロッサリー(食料品店)にすら、新しい商品を置くことが難しいと知った。そこで、吉田は実演販売することを思い立つ。食べてさえもらえれば売れると信じ、複数のグロッサリーに頼み込んでデモをやらせてもらった。

デモをやるからには「目立ってナンボ」と、着物、下駄、カウボーイハットというミスマッチな格好で店頭に立った。「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」とばかりに、人を楽しませることが好きな“芸人魂”で買い物客を集め、徐々に売り上げを増やしていった。ついには大手のマーケットチェーンに置いてもらうことにも成功し、家族の生活がかかっていた「ヨシダソース」は、世界の食品マーケットや会員制卸売店にまで並ぶようになる。

ブーマーの小切手がカンフル剤

ビジネスが軌道に乗り始めていた84年に新工場を設立し、地元ラジオにも出演した。裕福になり始めていたが、その生活も長くは続かなかった。気づけば経営は破綻しかけ、自身も「もう会社はダメだ」と一時は連日連夜、大酒を飲むやけくそな日々を送るようになった。

そんな吉田に対して、妻のリンダはウィスキーボトル取り上げるどころか手渡し、「もっと飲んで、明日安いアパートを探そう」と優しく言った。義父ブーマーには呼び出されて現況を聞かれた。正直に答えた吉田に、ブーマーは「マイ・サン(息子よ)、これを使え」と自身がリタイアした時のことを考えて貯めていた16万ドルの小切手を静かに手渡した。初めて「息子」と呼ばれたこと、しかも救いの手を差し伸べてくれたことに感動した吉田は、この時も「絶対にお返しする!」との気持ちを強くして会社を立て直した。

 

グループ年商250億円超え

現在、ヨシダのグルメのたれ(通称:ヨシダソース)は、オレゴン州の自社工場で1日平均7万本が生産され、日本を含む世界14カ国以上で販売されている。しかも、ヨシダソースの製造・販売だけでなく、航空貨物、スポーツウェア、レストラン事業、旅行代理店まで手がける年商250億円の複合企業に成長した。

吉田の自宅敷地は、元ゴルフ場のため、東京ドーム1個分にもなる2万5000坪の広さ。クラブハウスだった建物を自宅として使用している。部屋数こそ3、4室と少ないが、1部屋がホール並みに広い。また、敷地内には“別荘”が6棟ほど点在している。

サクセス物語の原点となった空手は現在も続けており、毎年8月には自宅敷地内にテントを張って、親子サマーキャンプ稽古を開催している。米国内で行われる空手大会のスポンサーも務めるなど、アメリカンドリームをかなえてくれた地元への感謝、貢献は忘れていない。

座右の銘は「自分大好き」

吉田の座右の銘は「Keep on Dreaming(夢を忘れるな)」という。ところが、実はもう1つあって、こちらは「I love myself(自分大好き)」。今でも、幼少期の写真を見ては「俺、かわいいだろう」と言って、周囲を笑わせる一面が吉田にはある。どんなに貧しくても、どんなに苦しくても、人は「お返しする!」の感謝の気持ちと、ちょっとした笑いがあれば、どうにかなることを教えてくれている。
(おわり=mimiyori編集部)  


吉田潤喜(よしだ・じゅんき) 1949年12月7日、京都市生まれ。米国に憧れ、68年に単身渡米。82年にヨシダフードを設立し、しょうゆベースのソースの製造販売を開始した。カウボーイハットをかぶって自ら出演したCMが人気を博し、メディアの出演依頼が殺到。年商250億円を超える大企業に成長させた。01年にアメリカ合衆国政府より優秀中小企業家賞を受賞。05年にはニューズウィーク誌(日本版)「世界で最も尊敬される日本人100」に選ばれた。家族は妻と3女。オレゴン州ポートランド郊外在住。

 

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