【連載「生きる理由」126】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「道場生が大会に出場した話」後編~なぜ現在の仕事に就いたのか

道場生の大会出場を総括する内柴夫妻(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「道場生が大会に出場した話」後編。

徹夜仕事の後、子どもたちの試合を観戦するために飛行機に飛び乗った。
機内で仕事、家族に思いをはせる中、
なぜ現在の仕事に就いたのか、理由を初めてつづる。

 

 

勤務先の温浴施設は 息子との思い出の地

大会後には、2022年12月に亡くなったサーフィン界のレジェンド・小室正則氏に生前のお礼を伝えるべく、同氏が遺したサーフィンショップを訪れた
(撮影:丸井 乙生)

日が昇り、夜が明ける。
作業している店舗は実家の近くなんです。
あの坂を越えて少し下れば、お父さんが自宅で寝ているのだろうか。

実家がある。

そうして、
僕の働く風呂屋はビジネスホテルも経営しており、
十数年前に世間を騒がせてしまったトラブルの最中、
当時の妻にお願いして、息子と僕で2人だけでお泊まりしたホテルでもあります。

息子に申し訳ない気持ち。
何も持たずに息子とホテルに入り、ホテルの浴衣を息子に着せて一緒に寝たベッド。

朝食でミニバイキングがここは今もあるのですけど、当時もあり、息子がポテトサラダを欲張って皿に取っていた姿。

ずっと、忘れられないでいます。

 

一生懸命働くことで

大会を終えて、教え子の健闘、そして指導者としての夫人をねぎらう内柴氏(撮影:丸井 乙生)

小さな子どもにかけた負担を思えば。

当時の妻や娘だってそう。
今だって。

だからじゃないけど
今、この風呂屋を修理し続けていることがある意味、申し訳なさをごまかせているのです。


ひっくり返ったものを元に戻すことは難しい。
この思いと、現実はまた違うことも確かであります。

別れた家族も僕にとっては家族。
今、僕を必要としてくれる家族もまた家族。

そうして僕を使ってくれるこの仕事も、僕にとっては感慨深いものであります。


当時も今も、別れた家族にとってはどうでもいいことでしょう。

いつか「ごめんなさい」と言える日が来るのか、
二度と会えないのか、
分からないけれど。

僕は目の前のやるべきこと、
求められることを全部やりきろうと思っています。

 

道場生の子どもたちを喜ばせるために

教え子は関東大会で優勝を飾った(撮影:丸井 乙生)

そう、この泥だらけで飛行機に乗っている僕。

東京に着いたら即、先輩の道場に向かい、成田空港着の安いチケットで東京に向かってくる妻と子どもたちを追い越そうと思っています。

汚れていても内柴。
道場生の子どもたちにとっては
いないより、現れたらうれしいでしょ。

今、向かっています。


(内柴 正人=この項終わり)

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◆内柴道場「EDGE&AXIS」公式HP

uchishiba-dojo.com

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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