日本のプロレス界が産声を上げた1951年から70周年を迎える節目に、日本の「殿堂」が誕生した。
日本プロレス殿堂会が主催する日本プロレス史70周年記念大会「LEGACY」初日が14日、東京・水道橋の後楽園ホールで行われ、アントニオ猪木、故ジャイアント馬場氏、故ジャンボ鶴田氏、藤波辰爾、長州力、天龍源一郎の6人の殿堂入りを発表した。
国内外の各スポーツ界にある「殿堂」を日本のプロレス界にも設立したもので、2020年2月に発足した同殿堂会が実行委員会を組織。大会初日のこの日は猪木、天龍、藤波のセレモニーを実施した。
多大なる功績を残した選手、関係者が今後も殿堂入りする見通しで、きょう15日には大会2日目を行い、故ジャイアント馬場、故ジャンボ鶴田、長州力の殿堂入りセレモニーを行う。
殿堂第1号はアントニオ猪木
日本にもついに〝闘いの殿堂〟が生まれた。第1回の今回は日本プロレス殿堂会の会員、実行委員会による厳正な選定の結果、プロレスの教科書があったなら載るべき6人が選出された。
第1号となった選手は猪木だ。現役時代は独特の殺気を放ち、数々の名勝負を紡いできた。1972年に新日本プロレスを設立し、当時のボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリと異種格闘技戦を行ったほか、議員として国政にも進出するなど、国民的な存在として知られる。
今回の殿堂入りに際して「日本プロレス70周年、おめでとうございます」と祝福した上で、自身とプロレスの縁について回顧。プロレス初期の試合をテレビで見ており、その後ブラジルへ移民してプロレス入りした経緯について「これも運命というか、宿命というか、偶然ではないと思う」と振り返った。
2021年は腸の病気などで長期入院するなど体調を崩し、自身の公式YouTubeで公開したやせた姿が心配されていた。しかし、最近になって往年のバリッとした姿でYouTubeに登場。この日もおなじみの赤いタオルを首にかけ、VTRで出演。喜びの「1、2、3、ダー!」を高らかに叫んだ。
殿堂入りの天龍 「プロレスを愛してください」
男気あふれる無骨なファイトを貫いた天龍源一郎も殿堂入りを果たした。
もともとは角界で最高位・西前頭筆頭まで務めた元力士で、1976年秋場所を勝ち越した上で全日本プロレス入り。故ジャイアント馬場氏、故ジャンボ鶴田氏に次ぐ存在に台頭し、87年6月の「天龍革命」で激しいプロレスを展開して人気を博した。
その後はSWSへ移籍し、自身で新団体「WAR」を旗揚げ、新日本プロレスにも参戦するなど、活動の幅を広げた。馬場氏、猪木からピンフォールを奪ったただ1人の日本人選手というメジャー団体における実績と共に、インディ団体にもたびたび参戦し、懐の深い戦いを繰り広げてきた。
長年にわたる体の酷使により、現在は杖を2本使っている。2019年に小脳梗塞、2021年春にはうっ血性心不全で入院も経験した。
殿堂入りのスピーチでは喜びと共に、プロレス界の将来にも思いをはせた。
「未来のプロレスに向けて、やっと動き出すことができました。生きている限り、未来につながる希望になれたら、と僭(せん)越ながらお受けすることになりました」
「ファンと歩んできたからこそ獲れた賞なんじゃないかと思います」
「プロレスラーがプロレスラーであることに誇りを持ち、プロレスファンがプロレスファンであることに誇りを持ってください」
「プロレスはいいものです。みなさん、プロレスを愛してください」
祝福VTRにスタン・ハンセン登場
セレモニーでは日本プロレス史70周年にあたり、著名な元プロレスラーからの祝福VTRを上映。70~90年代に日本で大人気を博した外国人選手、〝不沈艦〟スタン・ハンセンも登場し、トレードマークのテンガロンハット姿で祝辞を述べた。
殿堂入りは外国人選手も対象となっており、次回以降の殿堂入りではハンセンのほか、日本で大活躍した海外レスラーの選出も期待されるところだ。
祝福メッセージにはハンセンのほか、2020年1月に引退した獣神サンダーライガー、〝格闘王〟前田日明、全日本プロレス時代は「四天王」としてならし、プロレスリング・ノアの社長も務めた田上明も登場した。
「闘魂三銃士」として活躍した蝶野正洋も、70周年に祝福のコメントを寄せた。祝福VTRに登場したOBたちもまた、今後の殿堂入りが期待されるところだ。
(②につづく=丸井 乙生)
◆日本のプロレス史誕生メモ
1951年9月30日、東京・メモリアルホール(旧・両国国技館、のちの日大講堂)にてチャリティープロレス興行が開催され、米穀からボビー・ブランズら6人が来日。日本におけるプロレスの歴史はここから始まったとされる。