年末年始だけはちょっとぜいたくにおいしいものを食べたいもの。
ぜいたくな食材と言えば、秋の味覚・マツタケもその1つ。香り豊かで、かなりの高級品だ。
しかし、身近なしいたけ、えのきだけと同じキノコなのになぜマツタケは高額なのか?
文献に総当たりする「ガチで調べたトリビア」シリーズ、マツタケ編第2回は江戸時代は庶民も食べられたマツタケレシピについて。かなりおいしそう。
江戸時代~昭和初期は格安?
古来から天皇が楽しみ、貴族・歌人が楽しみ、武士が楽しんだマツタケを、ようやく大衆が狩って楽しみ、食して楽しむようになったのは江戸時代だった。
江戸時代には、「攝津名所圖會」にマツタケ狩りを楽しむ人々の様子が描かれ、料理本、特に庶民を対象にした書物にはレシピが数多く登場している。
ということは、それほど高級品ではなかったと考えられる。
見た目は海老しんじょう 「松茸煎込卵」とは
江戸時代の料理本には、現代の家庭でもできそうなレシピが数多く掲載されている。その中から、いくつか紹介してみよう。
①炊きこまないマツタケご飯(江戸時代の書物「名飯部類」より)
しょうゆを加えた出汁(だし)を煮たて、細かく裂いたマツタケを投入。さっと煮る程度にとどめ、ご飯に混ぜ合わせる。
②マツタケと卵のハーモニー(江戸時代の書物「万宝料理秘密箱」より)
笠の部分をあお向けにして、溶き卵を流し入れて炭火で焼く。
書物での料理名は「松茸煎込卵」。見た目はまるで海老しんじょう。
ご家庭では炭火焼きは難しいため、魚焼き器やトースターで代用できる。
③煎(い)り松茸(明治時代の書物「素人料理 珍味随意」より)
マツタケを適度にスライスし、油を使わずにさっと煎る。
ゆずのしぼり汁にしょうゆを少々。
そのたれによく混ぜ合わせて食べる。盛り付けの時ににおいが移らないように金属の道具を使わないことがコツ。
戦前は近年の200倍獲れていた
大正・昭和になると、知識が普及し、キノコ類が安定的に栽培されるようになり、1941年(昭和16)には統計開始以来、最高獲れ高の約1万2000トンを記録した。
近年のマツタケの生産量は60トンほど、2019年は天候不順の影響から大幅に減少して14トンというから、人口も増えて高まった希少価値が価格を高騰させた要因と言える。
近代化がマツタケの育つ環境を奪ってしまった
では、なぜ半世紀で80分の1ほどまでに生産量が激減したのだろうか。
理由の一つに、プロパンガスの普及が原因だと言われている。
以前は、山里に住む人々は日々の燃料として柴、割木を取りに、頻繁に山へ行く生活をしていた。
しかし、ガスが広く普及し、人が山に入る必要がなくなった結果、落枝や落葉が蓄積し、腐葉土が形成されるようになり、マツタケにとっては生育に適さない環境となったという。
あるいは、生態系の変化に大きな影響を及ぼす外来種の存在も考えられる。
外来種の害虫が引き起こす「マツ枯れ」は、1905年に初めて報告された。
その後、戦中から戦後にかけて全国に搬送されたマツの丸太の中に、害虫が入るなどしてマツ枯れが広まり、生産量の減少に追い打ちをかけたというのだ。
(つづく=mimiyori 編集部)