年末年始だけはちょっとぜいたくにおいしいものを食べたいもの。
ぜいたくな食材と言えば、秋の味覚・マツタケもその1つ。香り豊かで、かなりの高級品だ。
しかし、身近なしいたけ、えのきだけと同じキノコなのになぜマツタケは高額なのか?
文献に総当たりする「ガチで調べたトリビア」シリーズ、マツタケ編第1回は日本書紀から江戸時代のキノコ図鑑まで歴史をひもといてみた。
かぐわしい芳香が人を襲った……ってナニ?
縄文人は食用キノコと毒キノコを見分けていた⁉
マツタケを含むキノコの歴史は、はるか昔、いにしえの時代にさかのぼる。
なんと紀元前2000年ごろ、縄文時代中期ごろから、当時の人々がキノコを身近な食物として利用していたというのだ。
その時代の東北地方の遺跡から多数発掘された遺物「きのこ形土製品」は、食用のキノコ類を精巧に模していて、「縄文版きのこ見本」として用いられていたとか。
http://www.ao-maibun.jp/kankou/kiyou/kiyou_03.pdf
(青森県埋蔵文化財調査センター研究紀要より)
現在の我々が日常的に食べているキノコのような形をしている。
http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/ex_old/special_ex/2005kouko3dai/051203kinokodoseihin.html
(千葉県立中央博物館HPより)
つまり、食用キノコと毒キノコを見分けて食す必要があるほど、キノコは当時の人々の大事な栄養源だったということだ。
また、マツタケを模した「土人形」が、弥生時代の岡山市・百間川兼基遺跡から出土していて、少なくとも弥生時代にはマツタケが人々の身近な存在になりつつあったことを物語っている。
奈良時代の献上品は栗・鮎・キノコ
そんなマツタケが、文献に現れるのはもう少し後のこと。
まずは奈良時代初期に成立した書物「日本書記」に、キノコ・茸が登場する。
「これ以降はしばしばやってきて、土地の物を奉った。その産物は、栗、茸、鮎のたぐいである」=宇治谷孟「全現代語訳日本書紀」講談社学術文庫)。
日本には価値ある品を「贈り物」として大切な人に捧げる習わしがあるが、その筆頭が「茸(たけ、キノコ)」だったようだ。
茸は、奈良時代以前から、民間人から天皇への献上されるほどの価値が認められていたのだ。
奈良時代から不滅 「秋の香り」への愛
そして奈良時代末期、数あるキノコの中で最も早く歴史的文献に登場したのが、マツタケだ。
「高松のこの峯も狭(せ)に笠立てて盈(み)ち盛りたる秋の香のよさ」
これは万葉集に載っている歌で、奈良の高円山の峰に、狭いほどに笠を立てて豊かに生えているマツタケの香りを詠んだもの。
万葉集の時代から今日まで、日本人はマツタケの香りに魅了され続けているということ。
マツタケの香りを好む文化は日本人特有
しかし、マツタケの香りを芳しいと感じるのは、実は日本人だけと言われる。
江戸時代のキノコ図鑑「菌譜」には、「生する處(ところ)必ず芳香 人を襲ふ」とあるほどだ。
一方、欧米の人たちは松ヤニ臭く感じ、中国人は近年になって人気を集めているくらいで、日本のように古来から好んで食べる習慣はないという。
一歩日本から出ると、マツタケは松ヤニ臭いと評されてしまう、これは日本人の嗅覚が特殊ということか。いや万葉集で、マツタケが秋の香りと詠まれていなかったならば、日本人にも魅力が浸透しなかったのかもしれない。
さすが万葉集、いち早く日本中に秋の楽しみを教えてくれてありがとう。
(つづく=mimiyori 編集部)