【ラグビー】ワールドカップ開幕!日本代表選手の横顔② 外国出身選手たち 日本の〇〇に感銘

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2019年ワールドカップの日本代表・ジョセフ監督(写真:ロイター/アフロ)

4年に一度行われるラグビーのワールドカップが9月20日、日本―ロシア(東京スタジアム)で開幕した。代表31選手のうち、外国出身者が過去最高の15人。ラグビーでは競技の歴史的背景から、代表資格取得について国籍ではなく、下記の要件を満たすことになっている。

  1. 出生地
  2. 両親または祖父母の出身地
  3. 3年以降継続または通算10年居住している地

アジア初開催となった本大会は、日本スポーツ界の歴史に残る一大イベント。ラグビーの詳しいルールは分からない場合でも、親しみを持って外国出身選手を見つめたくなるプチ情報をご紹介。「日本代表選手の横顔②」は、日本の〇〇に感銘を受けた外国出身の日本代表たちについて。

 

 

大金星の15年W杯で〇〇をつくった  FLツイ ヘンドリック

日本代表として初出場した2015年W杯では、ヘンドリックがボブ・マーリーの曲「バッファロー・ソルジャー」の替え歌でチームソングを制作。試合後のロッカールームなどで歌われ、士気高揚に一役買った。

本大会では代表合宿中からPR山本幸輝が中心となって、アニメ映画「耳をすませば」でおなじみの曲「カントリーロード」の替え歌をチームソングとした。

PR山本は最終的に代表落選したが、前回大会で“作詞“したヘンドリックをはじめ、日本代表はチームソングを歌い続けていく。ニュージーランド出身。

〇〇に感銘を受けて日本代表に  FLピーター・ラブスカフニ

来日前の2015年W杯でラブスカフニは母国・南アフリカを応援していたという。

日本代表は初戦の南ア戦、終了間際だった29-32の場面で、キック、スクラム、ラインアウトのいずれかを選択する場面でスクラムを選んだ。

これが決勝トライにつながり、34-32で大番狂わせの金星を挙げた。

この勇敢さに感銘を受けたという。

母国ではU20代表、一時本代表にも選出されたが、16年にクボタ入り。19年7月パシフィックネーションズカップ初戦・フィジー戦で日本代表として初キャップ。念願の桜ジャージーを着て初のW杯に挑んでいる。

 

留学当初は激ヤセも…〇〇で復活  WTBアタアタ・モエアキオラ

“アタ“ことモエアキオラはトンガ出身で、中3の時に目黒学院高へ留学。東海大で外国人初の主将を務めた。

留学当初はホームシックになりかけた上に日本の食事が合わずに激ヤセ。

しかし、チームメートの保護者たちがつくってくれた料理で体をつくり上げた。現在ではマグロサーモンの寿司が好物で、納豆もイケるように。

俺は〇〇になる!/ノートに書いた目標  CTBラファエレ ティモシー

サモア生まれ、ニュージーランド育ち。

4歳上の日本代表ツイ・ヘンドリックの母校でもある強豪デラセラ高で全国優勝を果たし、山梨学院大の吉田浩二元監督(現・同大ラグビー部FWコーチ)にスカウトされ18歳で来日した。

2015年W杯の日本代表でヘンドリックが奮戦する姿に、自分も目標としてノートに「日本代表になる」と決意を書き込んだ。

19年6月、吉田浩二氏は心停止で緊急搬送されて入院。恩師に勝利で吉報を届けたいところだ。

代表合宿には日本ならではの〇〇  ジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ

かつて外国出身の日本代表としてプレーした選手が、ヘッドコーチとして戻ってきた。

もともとはニュージーランド出身で、農園を営む一家に生まれた。

5歳でラグビーを始め、2、3列目を務めた母国での現役時代は代表20キャップ。1995年W杯では決勝に進み、史上初の決勝延長戦で南アフリカに敗れた。

大会後は95~02年サニックス(現・宗像サニックスブルース)で現役を続け、99年に日本代表初招集。

当時の故・平尾誠二監督のもと、同年W杯に出場した。指導者としてはウェリントン代表、マオリ代表HCを経て、2011~16年ハイランダーズ(スーパーラグビー)HCを務めた。

16年1月、日本代表HC就任。19年6月から、代表合宿の宿舎に赤い甲冑と日本刀を飾り、士気を高めてきた。

(mimiyori 編集部)