【オールスポーツ】ラグビー=W杯準々決勝出場国 イングランドの横顔~ボルトより速い?超俊足男

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ボルトよりも速いとも言われる超俊足の持ち主、WTBジョニー・メイ(写真:AP/アフロ)

ラグビーのワールドカップは19日から決勝トーナメントを迎える。日本代表の20日南アフリカ戦を前に、19日は準々決勝2試合が行われる。
予選プールC1位イングランドは同D2位の豪州と対戦。前日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズHC率いるイングランドにも、個性的な面々が多数いる。03年大会覇者について、観戦時に「知ったか」できるプチ情報を紹介。

 

 

WTBジョニー・メイ:ボルトより速い? 超俊足男

イングランドが誇る俊足男。17年11月テレグラフ紙には、同月の豪州戦でウサイン・ボルトが09年にマークした世界記録(9秒58)よりも速いタイムを計測したと報道された。記事によると豪州戦で40m走ったスピードを計測したところ、1秒あたり10m49のスピード(自己ベスト)を見せ、100m換算であれば9秒53に相当するスピードをマークしたという。
年代もの日本製デジタル腕時計を愛用している。練習熱心で、17年の新婚旅行先・セーシェル諸島の砂浜でもダッシュ練習していた。

HOルーク・カウワン=ディッキー:家業の漁業で購入資金ゲットしたゲーマー

父親が漁師で、本人は家業を継ぐ気はなかったが、大好きなもののために一瞬だけ船に乗った。
「漁師の仕事は大変で大嫌い。自分は睡眠が大好きだが、船上ではほぼ眠れなかった。ただ、チーフスに行く直前の9日間は海に出て、ゲームのXboxを購入する資金を手に入れた」。
シューティングゲームが大好きで、特に「コール・オブデューティーシリーズ」がお気に入り。「サーチ&デストロイモードでは世界No.1になった。再び1位になるために何時間もゲームしている」とゲーマーぶりを発揮している。

HOジェイミー・ジョージ:ケンブリッジ大から特待生の話もあった文武両道

2大会連続2度目の出場。3人兄弟の末っ子。5歳上の兄が双子で、兄の影響でラグビーを始めた。学業成績優秀で、ケンブリッジ大に特待生として勧誘されたことがある。結局は断って進学せずラグビー1本に絞った。
チームメイトのファレルとはサラセンズアカデミー時代、14歳からの付き合い。18年2月から幼なじみの理学療法士、リース・カーター氏と共同事業で治療院を開設した。

 

FLルイス・ラドラム:父はエジプト、母は南米のガイアナ共和国

初出場。19年W杯代表入りは「イングランドのサプライズ」と報じられている。
元U20イングランド代表を務め、16年U20世界選手権以降は、故障などに悩まされて表立った活躍がなかった。18-19季に所属Northampton Saintsで目覚ましい活躍を見せて19年に代表初招集された。
英国生まれだが、母親はガイアナ共和国出身、父親はエジプト系。2019年8月11日ウェールズ戦の代表デビュー戦では国歌斉唱中にスタンド観戦していた父親の姿を見つけて感極まった。

CTBジョナサン・ジョセフ:生後1週間で父が代表入り計画作成

誕生時はグレナダの離島出身である父・イヴァンが大喜び。生後1週間で「イングランド代表選手への道」という文書を書きあげる熱の入れようだった。父の仕事は化学技術者。仕事以外の情熱のすべてを息子に注ぎ込んでおり、ジョセフの代表入りは父の夢でもあった。
10歳で本格的にラグビーを始め、英国ではおなじみのアカデミー指導者ロキシー・フィアロン氏から薫陶を受けた。U18、19、20を経験。12年に代表入り。欧州同士の闘いにめっぽう強いミスター6nations。

PRジョー・マーラー:1日牛乳1リットル

2大会連続2度目の出場。前回15年W杯は、全4試合のうち3試合で背番号1を務めた。
18年9月に「家族とより過ごすため」とイングランド代表から一時引退したが、19年7月に復帰。エディー・ジョーンズHCが直接会って話し合い、「本人の復帰の意思を確認した」として代表復帰を決めた。11歳の時にラグビーを始め、16歳でハリクインズのアカデミー入り。15年末に脚を骨折した際は、完治するまで1日1リットルの牛乳を飲み続けた。

WTBルーリー・マコノキー:サプライズ選出 HCからの直電に「何かの間違い?」

今大会サプライズ選出の1人。16年リオ五輪の7人制イングランド代表で、銀メダルを獲得した。18年にBathに加入して15人制に転向したばかりで、代表キャップのないまま19年W杯のメンバー入りを果たした。
初めてエディー・ジョーンズHCから代表招集の連絡をもらった時は「何かの間違いだ」と思ったという。幼少時代に00年シドニー五輪を見てから熱烈な五輪ファンになり、16年リオに出場するまでは7人制ラグビーのことしか頭になかった。

(mimiyori編集部)