【ラグビー】ワールドカップ=準々決勝出場国 豪州の横顔~19歳の「ワンダー・キッド」がいる!

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(写真はイメージ:MuddyFox/photoAC)

ラグビーのワールドカップは19日から決勝トーナメントを迎える。日本代表の20日南アフリカ戦を前に、19日は準々決勝2試合が行われる。

予選プールDの2位・豪州は同C1位のイングランドと対戦。予選プールで2試合先発出場で1トライの19歳、ジョーダン・ペタイアが決勝T初戦でもCTBで先発出場する。若きスターが台頭した91、99年覇者の戦いぶりに注目だ。
そのワラビーズについて、観戦時に“知ったか“できるプチ情報を紹介。

 

CTBジョーダン・ペタイア:愛称は「ワンダー・キッド」

初出場にして、準々決勝では3試合目の先発出場。急成長中の10代CTBだ。
地元メディアでも「ブーム・ティーンエージャー」や「ワンダー・キッド」「次世代のスーパースター」などと紹介され、イングランド代表HCのエディー・ジョーンズも注目しているとされる。所属のレッズ幹部は「次の10年で何度も聞く名前だろう」と断言するほどだ。

19年3月に左足を負傷して手術を受けた。「最低でも全治4カ月」と診断されて戦線離脱したが、19年5月から豪州代表への同行は続けてきた。
少年時代の大事な試合で下着を忘れて母親が試合直前に慌てて届ける一幕があったが、本人はノーパンで出場する気満々だった、というエピソードを持っている。

PRタニエラ・トゥポウ:トンガの雷神

出身地にちなみ、ニックネームは「トンガの雷神」。14年に豪州へ渡った。
19年7月に遠征先の南ア・ヨハネスブルグで携帯電話(新品のiPhone X)を奪われる強盗被害に遭った。右腕に切り傷を負い、途中まで強盗を追いかけたが、同僚たちに止められて「携帯は取り換えられるが、命は代えられない」と思いとどまった。
減量のため定期的にボクシングジムに通っている。11人兄弟の末っ子。父の職業は大工さん。

PRアラン・アラアラトア:父、兄はサモア代表の国際的代表一家

父親Viliさんは91年W杯サモア代表を務め、兄Michaelは19年W杯サモア代表。異国代表の兄弟同時選出を果たし、特に豪州メディアでは注目されている。
幼少時代から兄弟対決の試合では、母 Emmaさんは応援に悩み、表に両チームのロゴ、裏に「Team Alaalatoa」とプリントした特製Tシャツを着用してスタンド観戦してきた。


名前の由来は父Viliさんがクリケットの大ファンだったことから。名前のAllanは、クリケットの元豪州代表主将Allan Borderにちなんだ。

 

FLマイケル・フーパー:通算100キャップまであと2

2大会連続2度目の出場。通算100キャップまであと2と迫っている。
22歳だった14年に、故障した当時の代表主将に代わって史上最年少主将に就任。17年から正式に委譲された。
長い金髪がトレードマーク。父親はイングランド出身で、豪州に移住した。
幼少期はサッカー、バスケット、クリケット、サーフィンと、あらゆるスポーツにチャレンジし、ラグビーを選んだ。趣味はサーフィンとバイク。

FL/No.8ジャック・デンプシー:あの拳聖と同姓同名

本名は「John」だが、生まれた瞬間にボクシングファンの父親が、「(米国ボクシングの元ヘビー級王者の)ジャック・デンプシーに似ている。この子をジャックと呼ぶ」と通称が同姓同名になった。
サッカー少年だったが、サッカーの試合でラグビーの元豪州代表主将Stirling Mortlockに勧誘されて転向した。おじTony Dempsey も豪州代表に招集経験のある元ラグビー選手。
シドニー出身。

CTBクリスチャン・リアリーファノ:白血病を乗り越えて

大病を乗り越えて初出場を果たした。16年8月に白血病を発症。姉(妹)Sallyさんの骨髄移植手術を受けて12キロ減量した。18年には所属クラブで戦列復帰、19年7月に豪州代表復帰を果たした。
19年W杯後に、12年間在籍したブランビーズを退団、日本のNTTコミュニケーションズに移籍する。
ニュージーランド出身で、6歳の時に家族で豪州メルボルンに移住。06年のU19W杯直前に父親を肝臓がんで亡くしたが、家族の勧めで出場し、決勝で活躍して優勝した。

WTBアダム・アシュリークーパー:世界最高のBK

本大会チーム最多の4大会連続4度目の出場。シドニー出身。「世界最高のユーティリティーBK」と称されるレジェンドだ。
17年から2年間は神戸製鋼でプレー。フランス・ボルドーから移籍した際は「ウッときた」と日本の湿度の高さに閉口していた。18年は元NZ代表のダン・カーターと同僚で「彼がどうして世界最高の選手なのか学んだ」という。

マイケル・チェイカ HC:4カ国語に長ける ファッション系企業も設立

両親はレバノンからの移民で、本人はシドニー出身。3人兄弟の末っ子で兄の指導でラグビーを始めた。現役時代はNo.8で、元U21豪州代表だが、本代表経験はない。
99年にイタリアで指導者を始め、01年豪州帰国。指導者のかたわら、ファッション系企業を設立して成功した。
14年に豪州代表HCに就任。18年はテストマッチ13試合4勝と不振に終わり、一時は解任されかけたが、同年12月に権限を縮小しての続投が決まった。19年W杯で優勝を逃せば辞任することを公言している。家族は夫人と4児。英語の他に、フランス語、イタリア語、アラビア語が話せる。

(mimiyori編集部)

 

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