【連載「生きる理由」86】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「教えることで分かった話」①~救いの神が現れた

キルギス共和国から来日した元教え子3人の練習最終日、日本一の石段といわれる3333段の階段をみんなで上った。内柴氏の太ももの筋肉がすごい(写真:本人提供)


2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「教えることで分かった話」。


2022年夏、勤務先の隅に敷いたミニ道場は、弟子入り希望者でにぎわった。
多くの相手と乱取りをさせてやりたいという〝親心〟で、受け入れ先を探すもお断りの連続。
そんなとき、救いの神が現れた。

 

 

 

柔道の夏 キルギストリオの夏

キルギス共和国で内柴氏を慕っていた選手の1人「ラト」さん。左が内柴氏と出会った2018年当時、右が今回の帰国日。たくましくなった(写真:本人提供)

夏の終わり。
風呂屋な僕は、
風呂屋になったはずの僕は、今年はたくさん柔道をした。

キルギス共和国から来た3人は、朝はせっせと階段を走り、ホテル清掃で汗を流す。
仕事の合間に練習するため、一時的に店から離れ、帰って来てはまた仕事。

仕事がない時、風呂屋はフロントに立つ。
いらっしゃいませ。
ごゆっくりどうぞ!

 

新型コロナウイルス感染拡大のせいで客足は半減しているが、それでも300名前後のお客さんは来てくれる。

「頑張れよ」などと選手に声を掛けてくれる人もいる。
「ドウモアリガトウゴザイマス」

そのうち
「タオルですか? 200円です」

 

自然と僕を呼び出さなくなり、簡単なお客さんとのやりとりはこなすようになったのである。

キルギスきっかけで、日本の柔道選手ともたくさん知り合えた。
これに加えて、10年来の柔道の知人とも再会できた。

 

昔の仲間と会う理由がなかった

キルギス共和国柔道代表の総監督を務め、2019年夏の世界選手権(日本武道館)で来日した当時の内柴氏(写真:本人提供)

理由がなきゃ、わざわざ会いに行くのも何だしな。
10年近く世間から離れていて帰ってきた僕は
「ここから先に出会った人たちとの間関係で生きていこう」
なんて思っていた。

 

キルギス共和国へ行ったのも、アラバンカ柔術の先生から勧められてのことである。

これがいらぬ苦労か、良かったのか。今の人とのつながりとなっている。

 

みんなの連絡先まで残っていないから、仲の良かった昔の柔道仲間の連絡先すら分からない。
わかっていたとしても、話す理由もない。
会う理由なんてあるわけない。

 

救いの神がいた

教え子たちがキルギスへ帰国後、階段トレを再開した内柴氏はその道程でシカを目撃。自然豊かな熊本県八代市で心癒されている(写真:本人提供)

2018年にキルギス共和国の柔道のコーチになってからというもの、
話す用事がたくさんできて、断られることがほとんどなのに、お願いして回らないとキルギス共和国の日本合宿が成立しない。

いろんな人にお願いしたあの頃と同じように、
この夏もいろんな人に下げたくない頭を下げまくった夏でした。

 

面白いもので、下げたくない頭を下げてお願いすると、たいてい断られる。

そんなときに、救いの神から声が掛かる。
「内柴くん、うちにおいでよ」

 

道着を着て、うちの選手と練習してくれよ。

 

そんなありがたい言葉をもらう。

自然と下がる頭。

 

久しぶりに乱取りをして気づく

柔道の練習はというと、
自分が人に教えていることが、いかにきれいごとか分かりました。
それは自分が乱取りをさせてもらえるようになって、しばらくしてからでした。

(内柴 正人=この項つづく)

 

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。

詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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