2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。
これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「教えることで分かった話」。
2022年夏、勤務先の隅に敷いたミニ道場は、弟子入り希望者でにぎわった。
多くの相手と乱取りをさせてやりたいという〝親心〟で、受け入れ先を探すもお断りの連続。
そんなとき、救いの神が現れた。
柔道の夏 キルギストリオの夏
夏の終わり。
風呂屋な僕は、
風呂屋になったはずの僕は、今年はたくさん柔道をした。
キルギス共和国から来た3人は、朝はせっせと階段を走り、ホテル清掃で汗を流す。
仕事の合間に練習するため、一時的に店から離れ、帰って来てはまた仕事。
仕事がない時、風呂屋はフロントに立つ。
いらっしゃいませ。
ごゆっくりどうぞ!
新型コロナウイルス感染拡大のせいで客足は半減しているが、それでも300名前後のお客さんは来てくれる。
「頑張れよ」などと選手に声を掛けてくれる人もいる。
「ドウモアリガトウゴザイマス」
そのうち
「タオルですか? 200円です」
自然と僕を呼び出さなくなり、簡単なお客さんとのやりとりはこなすようになったのである。
キルギスきっかけで、日本の柔道選手ともたくさん知り合えた。
これに加えて、10年来の柔道の知人とも再会できた。
昔の仲間と会う理由がなかった
理由がなきゃ、わざわざ会いに行くのも何だしな。
10年近く世間から離れていて帰ってきた僕は
「ここから先に出会った人たちとの間関係で生きていこう」
なんて思っていた。
キルギス共和国へ行ったのも、アラバンカ柔術の先生から勧められてのことである。
これがいらぬ苦労か、良かったのか。今の人とのつながりとなっている。
みんなの連絡先まで残っていないから、仲の良かった昔の柔道仲間の連絡先すら分からない。
わかっていたとしても、話す理由もない。
会う理由なんてあるわけない。
救いの神がいた
2018年にキルギス共和国の柔道のコーチになってからというもの、
話す用事がたくさんできて、断られることがほとんどなのに、お願いして回らないとキルギス共和国の日本合宿が成立しない。
いろんな人にお願いしたあの頃と同じように、
この夏もいろんな人に下げたくない頭を下げまくった夏でした。
面白いもので、下げたくない頭を下げてお願いすると、たいてい断られる。
そんなときに、救いの神から声が掛かる。
「内柴くん、うちにおいでよ」
道着を着て、うちの選手と練習してくれよ。
そんなありがたい言葉をもらう。
自然と下がる頭。
久しぶりに乱取りをして気づく
柔道の練習はというと、
自分が人に教えていることが、いかにきれいごとか分かりました。
それは自分が乱取りをさせてもらえるようになって、しばらくしてからでした。
(内柴 正人=この項つづく)
◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信
内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。
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うちしば・まさと
1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。
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