【連載「生きる理由」11】五輪柔道金メダリスト・内柴正人氏 社会復帰後の試行錯誤

内柴正人

2017年秋、柔術のジムに通い始めた頃の内柴正人氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

 

17年9月の出所から現在の仕事に就くまでの数年間、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「今の仕事を始めるまで」編の第2回、社会復帰直後の試行錯誤について。

 

 

自分を見つめ直したかった

世間に帰って来て、最初の給料はよく知らなかった投資家のかたからスカウトされてのものでした。その方の仕事が何だったのか、今は分かりません。お金の使い方は半端なく、何十万もする小物、バックをいつもお持ちになってました。 

当時の僕はまだ当たり前に働くよりも、「とりあえずやりたいことを探してみよう。定職についたら出来なくなることもあるだろうから、1回柔道に帰りたい」。そんなふうに思っていました。 

柔道に帰りたい。と言っても、柔道がしたいわけではなく。柔道界から永久追放なので、帰れるとは思ってもおらず。この時の気持ちは、「現役の頃のような生活に帰りたい。そこで今一度、自分を見つめ直したい」。そんな思いでした。 

その条件で、投資家さんとも話がついていたのです。最初の話は、柔道をやらせてくれるということになっていました。僕が柔道をやるには難しい状況になってしまったから、道場や実業団チームを作って活動してくれという、とても夢のあるものでした。  

 

ビジネス界への転身を勧められた

内柴正人

2017年秋、現役時代にロードトレーニングをした場所を訪れた内柴氏。当時と同じように懸垂から回転(撮影:丸井 乙生)

いざ始めようとしてみると、実際は大きなお金を投資するから僕が社長をやり、何かの事業で売上をあげるようにという内容に変わっていました。

いきなりビジネス。工事、作業の先輩もいない。マネージメントの先輩マネジャーが教えてくれるわけでもなく、社長になるという責任を求められました。うーん。整骨院、スポーツジム、パーソナルトレーニング、沖縄で焼肉店……。いろんな職種を言われて、答えられない僕。 

「僕は柔道界永久追放だから裏方の裏方をやるので、後輩に柔道チームを作ってもらいましょう」なんて夢の話をしていましたが、入社した途端、開業、開業と言われるので戸惑いました。ありがたい話なのですが、聞かれるたびに「今すぐに仕事を始めると、身動きがとれなくなるからできない、動きません」と答えたものでした。 

「好きなことをやりたかったら社長になって稼いで、自分で自分に、そしてその物事に投資するように」とも言われていましたが、ばく大なお金だけを渡されても、僕は損利益分岐点も分からない、何も分からないで会社をつぶすことは見えていたので、最終的に投資家のかたのもとで働くという話はなくなりました。 

  

当時は考える基盤がなかった

普通なら飛びつく話なのかもしれない。例えば、キルギスの柔道の指導もして、仕事もしている今ならば、投資してもらえる話があったら考えることができます。 

僕は自分自身のことを自分ではなく、その少し違う角度で見ているところがあるので、どちらかと言うと心の声に従った方が後でいい方向につながりやすい。それは柔道時代に経験済みだったので、箱から出てきた後、履歴書を持って職探しはできませんでした。 

柔道でなぜ、センスもないのに勝つことができたのか。それはやっぱり心の声がサボらせてくれないし、正しい方へキツくても進むように心の声が導いてくれていたことは今も昔もあります。たまにその声をシカトしてサボることもありますけどね。 

やっと今、商売の「いらっしゃいませ」が徐々に分かってきましたが、その頃は不安しかありませんでした。でも、時とタイミングは努力している人に合わせてくれるわけではないので、もともとなかった話だと思ってもいます。

  

 柔術のジムに住み込み

内柴正人

2018年春、柔術のジムに住み込んでいた時期

もたもたしていたところに柔術ジムからの誘い。すぐに神奈川へ引っ越ししました。

僕は何が欲しいのか?

お金をどんどん準備してもらって「さあどうぞ」と言われるよりも、競技は柔道と違っても、道場やジムへの受け入れを許可してもらえることの方が大切だったのでしょう。その後、柔術ジムに入門しました。住居は住み込み。稼ぎはなし。柔術着と車とガソリン代を用意していただいて、とても満足したことは今でも覚えています。 

(この項つづく)

   

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。 

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