【連載「生きる理由」97】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「1度目の金メダル後に勝てなくなった話」②

 

内柴正人

2017年秋の内柴正人氏。かつて自宅があった場所で現役時代にこなしていたトレーニングを振り返った(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「04年アテネ五輪で金メダル獲得後に、数年間勝てなくなった話」中編。

08年北京五輪で連覇を飾るまで、なんと国際大会での優勝はゼロ。

優勝できないジレンマの中で、新たな覚悟を決めた。

その決意とは。

 

 

 

独自トレをやりきっても勝てない

内柴正人

現役時代は自宅近くの遊歩道周辺でサーキットトレーニング。2017年秋、懐かしい鉄棒でくるくると回転する内柴氏(撮影:丸井 乙生)

何年も続いたんです。

国際大会の優勝はオリンピックからオリンピックまでゼロです(笑)。

 

練習は

当たり前に

ランニング、階段トレーニングも人を担いで走り、手押し車、タンク運び。

その後、ウエイトトレーニング、スクワットMAX200キロ。

ロープ引き。

 

これらを1日に全部、週5はやっていたと思います。

 

その上で国士舘大の練習。

練習の前に打ち込み1時間。

乱取りは全部、普通にやり、

寝技もやりきっていました。

 

斉藤仁先生から禁煙を言い渡される

内柴正人

2017年秋、かつての練習場所を久々に訪れた。階段で超高速のステップを踏む(撮影:丸井 乙生)

でも、負け続けるんです。

負ける負ける。

なぜだか負ける。

 

ある日、

試合で負けて帰国した空港での取材で諦めるような話をしました。

空港から2時間の帰路、

斉藤先生からの電話。

「てめえコノヤロー」から始まり、かなり叱られました。

最後に

「オリンピックに行きたかったらタバコをやめろ。そうでなければ今すぐ引退しろ」

 

そう言われたんです。

 

オリンピックには行きたい。

あと1回、チャンピオンになりたい。

 

タバコやめるか……。

やめよう。

 

僕はタバコをやめました。

2日間。

 

自分で決めたこと……じゃなかった

2日間、禁煙すると

ソワソワ、イライラ、

ソワソワ、ソワソワ。

 

そんな状態で世界一のトレーニングをする。

出来るわけがない。

 

出来ないんですね。

 

でも、

斉藤先生との話もあるし。

自分でも決めたことだし。

 

自分でも、決めたこと。ん?

違う、斉藤先生が決めたことだったわ。

 

トレーニング量を増やす覚悟を決めた

内柴正人

階段ではよつんばいになって前、そして後ろにも進むトレーニング。手には軍手をはめている(撮影:丸井 乙生)

僕にとってのタバコとは覚悟しなきゃならない時の一服なんですね。

 

サウナに入る前、

走りに行く前、練習前。

 

それがなくなって覚悟を決めきれなくなったのか、

ソワソワしたままトレーニングをする。

 

斉藤先生と約束した訳ではない。

斉藤先生が一方的に言い放ったこと。

 

じゃあ、守らなくてもいい。

 

その代わり

タバコを吸う代わりに何をするか。

 

タバコを禁煙して苦しんだ2日間を過ごし、

覚悟したことがある。

 

突き抜けたトレーニングをする覚悟でした。

(内柴 正人=この項つづく)

 

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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