【連載「生きる理由」113】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「夢と地獄の日々」④~少年柔道を辞めた日

2020年、熊本へUターン移住した内柴氏は中学時代を過ごした阿蘇を訪れた(提供:合同会社EDGE&AXIS)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は、「夢と地獄の日々」の話④。

後輩の結婚披露宴に招待されて上京しながら、夢を追いかけた懐かしい日々、かつ地獄の日々を思った。
少年柔道を一時期、〝辞めたと思っていた〟ことを振り返る。

 

 

 

「辞めていたんですか?」

先日出席した結婚披露宴で「先輩は(道場を)辞めていたんですか?」
そんなことを言ってくれる後輩がいました。

「辞めたとしても、俺は先輩だし、道場にいたことに変わりはないな」
あはは。

さて、
僕のことを「正人(まさと)」と呼ぶ人は親しい。

僕がチャンピオンになり、僕のことを「正人」と言う人がふわっと増えた。
僕のいないところで「正人」と言い、うわさをする人を
「あいつは何の関係があって正人と言ってるんだ」
そんなことを怒って言う身内もいたくらいです。

あんまり気にしないんですけどね。

でも、
熊本に恩師という恩師は何人もいるわけがなく。
子どもの頃の道場の先生たち、
中学の頃の先生たち。

そのくらいなんです。

そして、その時期に共に練習した仲間たち。

 

熊本の後輩は「まっ先輩」と呼ぶ

阿蘇山のふもとには広大な草原(提供:合同会社EDGE&AXIS)

中学になり、まあまあ強くもなり、県の強化合宿や試合で一緒になる歳の近いライバルたち。
先輩方、いろんな方が僕を「正人」と呼んでくれます。

これに熊本の後輩たちは
「まっ先輩」と呼んでくれていました。

世界で1人だけ僕を「チョロ」と呼び、それは誰にも浸透しないのに僕が引退するまでそう呼んでいた斉藤仁先生。

大学では「内柴先輩」。

僕が大学へ進学した後、
熊本・一の宮中学から追いかけるように国士舘にやって来た後輩たちは「まっ先輩」。

地元から僕を追いかけて何人も進学してくれた時はうれしかったものです。

なぜなら、
僕が国士舘高校へ進学した時は独りぼっち。
下に続く後輩も来なかったし、
僕より前にこの高校へ進学したのは何年も前らしかった。

国士舘というところに15年ほどいる間に熊本の後輩が増えた。

僕が
国士舘へ1人で進学した時は寂しかったんだよなあ。

そんな寂しさを感じつつ柔道をしていた時期が
高校より少し前、中学の時にもありました。

 

中学1年にして「親の死に目に会えない覚悟」

雄大にそびえる阿蘇山(撮影:丸井 乙生)

僕ね、子どもの頃、
少年柔道を辞めてるんです。
(先日の結婚式で後輩の1人が「先輩は辞めたつもりだったんですか?」と言ってくれていたので、ありがたく改めて「辞めていなかった」とします)

それは大人の事情で辞めたんです。

大人のいざこざがあり、
父と道場の先生との間の話にどちらが正しいと言うのは、ここでは無しにします。
この先もずっと。

この話を父にすれば、父は激怒する。
ブチギレる。

でもね、
中学1年の僕が
当たり前ではない世界、
「親の死に目に会えない覚悟」をして道場の先生に弟子入りしていた以上。

自分の親と先生がもめていたことを知っても、僕は道場に残ろうとしていました。

師匠を選んでいました。

 

数日間 親より恩師を選んだ

阿蘇外輪山の一峰「大観峰」。日本でも珍しい景色を持つ阿蘇五岳を見渡せる(撮影:丸井 乙生)

父がどんな想いだったか。
いろんな思いがお互いにあると思います。

最終的に、僕はお父さんの子どもというところで出した答えです。

この判断基準はいつも同じ。
出て行った母に会いたくて、でも会えなくて、母を追いかけて出て行く姉や兄。
産みの母はいつか正人も引き取る、そんな話も聞いたことがありました。

でもね、
大人の事情は知らないけど、
いつの日なのか、僕は父のそばにいると決めたんです。

家族の絆の薄い内柴家。
僕はお父さんの近くにいる。
まあ、柔道のために弟子入りしたり、進学したりで
出て行った兄弟より家で過ごした時間は短いかもしれないんだけど。

僕はいつも父の近くにいる。

この時も
恩師か父か、
当たり前の感覚をお持ちの方なら、おかしな話ということは気づくだろうけど。

何日間か、僕は親より恩師を選んでしまっていました。
はい。

途中、道場の寮から実家に荷物を取りに帰った時に父に会ったんです。

(あれ、ん?あれ⁉)
気づいた瞬間がありました。

 

「辞める」という言葉が出てこなかった

ある日、気づいたんです。
「あれ、僕はここにいてはいけない」

今でも覚えている。
道場の横で
整骨院を営む先生の所へ行ったこと。

僕の顔を見るなり、察して院長室に2人きりになり。

「先生、道場を辞めさせてください」

何の涙だったんだろう。
初めて「えっぐ、えっぐ」となって、「辞める」という言葉が出ませんでした。


(内柴 正人=この項つづく)

 

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◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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