【連載「生きる理由」23】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「瞬間の課題を自分に課す」中編

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7・13後楽園ホールの「QUINTET」出場に向けて、柔術の練習に励む内柴正人氏

(右=写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「練習とは何か」中編。年間、月間、その日の課題ではなく、「瞬間の課題」を自分に課してきた現役時代の稽古方法について。 

 

 

柔道を覚える方法とは

現役時代に長いこと、出身大学で練習をしていました。国士舘大学なのですが、僕は当時、この大学の柔道が嫌いでした。

相手の組み手を絞って絞って絞りまくって、雑巾絞りよりも厳しく絞って組み手をする。練習では投げられたら怒られる。「やる気が足りない」とののられる。シバかれる。

学生時代にそのような指導をされていましたが、「それは違う」と思っていたんです。僕は当時、練習では相手に投げられるくらいに幾つかの守りを捨てて、その分の神経を他に使っていました。守りを捨てているところに、相手が気付いて技に入ってくれれば簡単に投げられることにして。

だから、練習では自分より弱い相手にも投げられる。その感覚こそ、柔道を覚える方法だと思います。 

 

転がっている暇はない

そのような練習を学生時代からしていて怒られなかった理由は一つ。

「投げられたからといって転がっている時間がない」

それだけです。普通は投げられたら悔しがったり、痛くもないのに痛いところ探して「今のは痛かったから」と言い訳を探したりする。投げられたついでに道着を正す。 

よく見る光景です。1日は24時間しかないし、練習できる時間も限られているわけだから、投げられたついでに服装を直してる暇、本当はないですからね。 

 

投げられたらすぐ立つ

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全日本時代の柔道着(右)、そして柔術の道着(左=撮影:丸井 乙生)

僕はすぐ立つ。投げられて悔しがる暇がないくらい、相手に喜ぶ暇すら与えないくらい、すぐに立つ。相手が投げたと思った時には、もう立っている。

そのくらい、投げられたらすぐに相手に向かって行きました。 

また、守りを捨ててるところに技がハマって、投げられて悔しいという気持ちもない。こらえたりもしない。それで「投げた、投げた」と喜ぶ人もいるけれど、あんまり気にしていませんでした。 

(内柴正人=この項つづく) 

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

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