【連載「生きる理由」③】柔道金メダリスト・内柴正人氏が味わった五輪 金メダル後の後悔とは

内柴正人

熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務する内柴氏。掃除も修理も修行中

(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇し、17年に出所した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務している。 

数年間の模索期間を経て18年からキルギス共和国の柔道総監督に。19年秋に帰国した後は、柔術と柔道の練習をしながら社会人として働き始めた。 

2度制覇した五輪について、内柴氏の記憶は薄れ始めている。ただ、五輪で味わった栄光と苦難、そして一心不乱に突き進んだ経験は本人だけが知っている世界。どのような思いで金メダルを目指していたのか。 

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、「金メダル後の後悔」について。

 

 

 

 

 

 

金メダル後の表彰はつらかった

成功か失敗か。僕の感覚では、自分の柔道人生は不安と失敗ばかりでした。だから連覇したのであって(五輪前の国内、海外大会を含めて)ストレートにチャンピオンになれていたなら、たとえラッキーで1回でも勝てていたら辞めていたと思います。 

オリンピックを見ていて居心地が悪いのは「初出場」「何回目」という紹介のされ方。(何回も出れるもんじゃないのにな)と素直に思います。 

オリンピックで優勝したからといって、いろんなところから表彰されるのも何か違和感がありました。いくつかな。僕の人生は1つなのに、1回オリンピックで優勝しただけで、東京でいくつも表彰されて、地元・熊本でも3回くらい表彰されて、ほかにも、それまでかすりでもした地域があったら表彰されてしまうのです。 

あれはつらかった。表彰式などの行事も、僕は呼ばれたら一生懸命にやる。けれど、本来何がしたいかったのかと言えば、何年も何年も「絶対の夢」をかなえるために、すべてを柔道にかけてきているのだから、優勝の直後から家族で旅行へ行きたかった。本当にごめんなさいです。  

 

家族との時間をつくれば良かった

今、2回目の結婚をしてこうして生きている。「たら・れば」になりますが、それがあの頃に分かっていたなら、表彰とかいろんなものをすっ飛ばして、チャンピオンになったその次の日には家族旅行をしていると思います。世間体には全部知らんふりを決めて。 

世界一になりました!

日本の首相と電話です。

「あっ、すみません、結構です」

…のようなことができていたら。 

 

帰国して半年くらい、ずーっとどこかへあいさつ回りに行かなければいけないのだけど、ああいうのを全部、すっ飛ばして1年くらい家族で遊び回ってても良かったかもしれない。周りは結果しか見てない。結果でしか反応しない。 

僕ら家族はかなわない夢を実現すると信じきって生きてきていますから、夢が叶ってからは休みたいんです。一生、、何もしたくないくらい。今思えば、「試合が終わったばかりだから休みます」と言えば良かった。 

 

勝利後のご褒美は缶コーヒー

 

 

 

オリンピックって、やっぱりスポーツ選手は最後の評価をしてもらうところなのかな。優勝したその日はめちゃくちゃ忙しいのです。優勝するでしょ、そのままドーピングコントロール、検査で見張り役の人につかまるんです。

どこに行っても付いてこられて、困りながら表彰されたり、簡単な取材を受けたりしながら、検査で使うおしっこが出るまで2人きりなのです。

普通の選手はおとなーしく2人きりで過ごすのかな? 僕は現役時代、タバコを吸っていたから、見張り役の人にタバコを見せて、“外に行くよ。付いてきて!”って、会場の外にまで見張り役の人を連れてきちゃったりして。 

減量でカリッカリになってるから、ドーピング検査で使うおしっこが出ない。だから、ずーっと言葉も通じないおじさんがくっついて来る中、僕はチョロチョロと動き回る。

 

タバコを吸いたいし、会場でもらえる水やスポーツドリンクよりも、日本の缶コーヒーが飲みたい。缶コーヒーは日本から持ってきてるので、自分のバッグにしか入っていません。それを取りに行くことすら難しいのが優勝した直後の忙しさ。

 

結局、僕は自分が優勝することは知っているから――

――僕が勝つって知っていました。それをかなえてあげるのがその瞬間を生きてる僕であって、「本当は勝てたのに」って負けて後悔する場面や状況を作らせない作業は必要ですけど。知ってるんですね。 

高校の時にインターハイで優勝した時にも「知っている」と言ったら、「なめんな」と先輩に怒られたことがありました。

 

でも、本当に「なめている」のは、”勝負は分からない”という考えでハンパな練習してる場合です。絶対勝てるんだからと、才能を超えるどんなにきつい練習でもやりきれないことには、かなうものもかないません。僕は「ああ、才能があればやらなくて済むんだろうなあ」と思う毎日を全力でやり切っていました。 

才能を超えた能力を身につけようと、死も意識して鍛えるけれど、全部やり終えたあの頃に、「人間、なかなか死なねえな」と思ったことは覚えています――

 

――試合会場へはタバコとコーヒーを試合後の楽しみで持っていくんです。負けたらたぶん、飲んでいない。負けた時って味がしないから、楽しみに取ってたものがおいしくない。だから、負けたら口にしないのです。 

 

五輪で負けると病む 

 

 

 

オリンピックでは負けていないので、味がしない経験はあの空間では味わわなかったけれど、オリンピックとは悲しいもので、柔道の選手団全員が金メダルは獲れません。

2大会とも味のしないご飯を食べた人はたくさんいました。みんな、日本から持ってきたいろんな食べ物を空腹を満たすためだけに口に突っ込んでいましたが、絶対にいい味ではなかったように見えました。

何度も、

「はあー」

「ふうーん」

ため息ばかり。

 

北京オリンピックに81キロ級で出場した小野卓志くん(※編集部注 初戦の2回戦でブラジルのカミロに敗退)は、帰国後も2カ月くらいは自宅にこもってカーテンのすき間から世間をのぞいていたそうです。そのくらい病みます。

僕は感受性が強いから、大会期間中はとても気まずかった――というくらい、みんな負けるのです。仲良しの選手がメダルを獲ってくれないと、これがつまらないつまらない。詰まるところ、1人でチャンピオンになっても超つまらない。寂しかったなあ、北京オリンピック。 

 

アテネオリンピックは、大会期間中も帰国後も全部野村忠宏先輩にエスコートしてもらって、めちゃくちゃ楽しかった。そんな両方を知る僕は、3回目のオリンピックはコーチとして海外から東京オリンピックに参加できるかなあって思ったのだけど、新型コロナウイルスの感染拡大で、一旦延期になりました。

その前に辞めて帰国したのですけれど、辞めて帰国して良かったかな。それはまた今度書くとします。

(内柴 正人)

 

 

 

 

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

 

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