【連載「生きる理由」41】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「昔の自分」と「今の自分」前編

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仕事の合間に柔術の練習に励む内柴正人氏(左=写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

 

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「昔の自分」と「今の自分」について。

就職先に対する思い入れを明かしつつ、「昔の自分」と勝負しながら歩む「今の自分」を客観的に見つめた。

 

 

 

なぜ「つる乃湯」だったのか

僕の持ち場の店舗は熊本市内からどのくらいだろう。
車で南へ1時間ほど行った、八代市にあります。

この会社が運営している風呂屋の一つ「熊本店」は、僕の実家からすぐ近くにあり、現役時代は熊本に帰省すると、必ず一日の始まりをそこで迎えました。

体重管理もある中で、一番の理由は「風呂に浸からないと目が覚めない」。
身体がカチコチなのです。

 

いつも使っていたカランを自分で修理して感慨

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勤務先で朝焼けを見る。機械トラブルが起こった際は、夜を徹して仕事をすることも
(写真:本人提供)

いま働いてる会社には、そんな思い入れもあります。
赴任先は八代ですが、いつも通りの昔の自分に会える場所でもあるのです。


きょうは熊本店に出張修理。これまで何回も熊本店に出張しましたが、きょうほど感慨深い日はありませんでした。
なぜなら、昔いつも使っていたシャワー カランの修理だったのです。

 

「昔の自分」と勝負している

人はいつだって昔の自分と勝負している。

僕だけかもしれないけれど、僕は勝負している。

今、当たり前の仕事をしています。昔はやろうとも思わなかったし、やれるとも思っていなかった。

実家で会社を営む父の仕事にはまた別の責任を感じて、怖くて働かせてもらうなんていまだにできない。

そこは自分に負けています。

 

昔から友達は少ない

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最近の〝友達〟は飼い始めた金魚。温度管理が難しいという(写真:本人提供)

そんな「昔の自分」をよく知ってくれている、数少ない友達がいます。

基本的に友達はいない。

僕の友達。

のりお、たけお、かずま、しんごう。ふみひろ。

これぐらいです。

中学の頃の友達なのですが、その先、友達をつくろうとしたことがありません。

最近、一緒にトレーニングしている大学生に「お友達になってください。」とふざけて言ったことはあります。

「俺の元気に同世代が付いて来れないから、半分くらいの歳の差の若い子が友達にならないと付いて来れないよね」

最近、そんな話をしました。

(内柴 正人=この項つづく)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

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