2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。
これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「ショックだった出来事」の第3回。
柔道指導を頼まれて教えていると、周囲からストップがかかるという出来事をここ半年間で経験した。
求められたら教える、去る者は追わないスタンスで毎週木曜日に練習会を開いている。
指導した中学生を高校へ送り出す
この話の最後に。
今春、東京へ送り出す前日まで中学生が練習に来ていました。
教えたのは数カ月間かな。
しばらく毎日教えていました。
「俺に習ってるって知られたら、高校でいじめられるぞ。だから言うなよ」
でも、この独特の打ち込み……こんなのやっていたら「どこで習ったんだ?」って言われるから、バレないように、でもバカにされないように、習ったことを高校でも続けられるように――どうやってやればいいのだろうか!
「内柴式打ち込み」は独特
僕がやる僕の打ち込みは極めていますから、僕がやれば普通。
でも、弟子がやると、まだまだヘンテコなものになる。
ヘンテコ期に進学するとなると、行った先で何と言われるのだろうか。
いじめられないだろうか。
心配で心配で、この数カ月間、少しでもまともに内柴スタイルの打ち込みをすり込んでいました。
そうしたら、行った先の高校ですでにバレていたんだそうです。
いじめられなければいいけど。心配しかない。
中学生との練習で学生弟子が成長中
ここへ足しげく通う学生弟子のナカガワくん。
中学生が通ってきていた間、ずっと付き合ってくれました。
僕がナカガワくんに教えていた柔道とまったく同じ内容を中学生に教えていたのだけど、やっぱり相手は中学生なので、それなりにかみ砕いて細かく説明をしていたのです。
その打ち込みを受けながら、話を聞きながら、自分の柔道を今一度、学び直してくれている感触がありました。
もともとは、僕の後輩の教え子ですからね。
後輩監督にメール。
「あいつ、ここ最近、いいでしょ!」
1年かかったなあ。
毎週木曜日に練習会開催中
差別・区別を受け止めながら柔道をしております。
いずれにしても、やるならやろう。来たら教える。
本気なら、僕も本気を出そうではないか!
そんな感じで、柔道思考に入りますと、これまで2年ほどやっていたグラップリングや柔術の練習がまったくできていない。やりたいのにやる時間がない。そんな悩みもあるんです。
最後の最後に、僕は毎週木曜日が休みなのです。
毎日仕事ばかりしているので、週に1回、僕が練習にいることができる練習会です。
毎週木曜日。
休みたいな。
(※編集部注:「めんどくさい」と言いながら、練習をすべてやりきる人柄であるため、この場合の「休みたいな」は、「休みたいと言いつつ、来た人にはちゃんと教えてしまう」「毎週木曜日にやっているので、来てくれたら本当にうれしい」という意味合い)
(内柴 正人=この項おわり)
◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信開始
内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に週1回開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
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うちしば・まさと
1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。
#MasatoUchishiba