2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。
これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「働きながら思うこと」。
元教え子や弟子入り志願者が詰めかけ、多忙な日々を送った2022年の夏が終わり、
働いて3年目の「仕事」に思いをめぐらせた。
節約する会社で働き 思うこと
おはようございます。
社宅にソファを買いました。
小さい小さなソファだけどね。
よく、妻と話すこと。
この会社で働いて、10年後はどうなっているだろうか。
毎日、修理、修理でぶっ壊れている物でも修理する会社。
これには社長の強い思いがあり、僕もその想いに乗っかって頑張ると決めているから頑張れるのだ。
しかし、ボロくサビサビのポンプを見るたびに「これは10年後、大丈夫か?」
「このほかの機械だって、10年の間にはさすがに買い替えなきゃならないタイミングはある」
大丈夫か?
なんて、たびたび思う。
なので、社宅にソファが欲しいと思っても買わないできた。
倉庫が欲しいと思ってもね。
買えないよね。
円高、原油価格の高騰。
最低でも20年はこの店に頑張って欲しい。
「仕事とは何か」に思いめぐらす
最近、ソファを買った。
パソコン用の簡単な机を買い。
片付かない荷物を入れる倉庫を買った。
この会社に20年はいると覚悟を決めたと言うより、
片付かない荷物にうんざりし、安い座いすにうんざりしたからだ。
仕事というものを始めて3年目。
仕事って何だろうと日々思う。
柔道の選手として会社からいただいてきた給料は、あれは給料ではなかったな。
昔は柔道で飯を食っていた
給料でいえば、
柔道で飯が食えるのならば、これほど良い話はない。
全ての柔道好きがみんな柔道で飯が食える訳ではないけれど、
それで生活をするのが当たり前だった僕からすると、こんなにも簡単な話はない。
しかし、これが難しい。
巡り合わせもある。
運もある。
でも、一番は勝てば良いだけの話。
勝てば良いだけの練習をすれば済む話。
僕の技術は細かすぎるのかもしれない
柔道教室。
今年に入って柔道教室をすることが増えた。
教えていて思うこと。
僕の技術は細か過ぎる。
伝えるのは簡単だけど真似したところで打ち込みでは出来る。
その場では出来るのだけど、実戦で使えるかと言うと使えないのだ。
ふと、我に返る。
それはそうだ。
僕の持つ技術は、いわゆる柔道界では厳しいといわれる国士舘で磨いて来たもので、
厳しさに追い込まれている がむしゃらな学生相手に技を掛け続けて身につけた技術。
国内で当たり前に勝ち、国際大会で当たり前に勝てるために何年もすり込んだ技なのだ。
すり込んだ年数が違う。
「斉藤仁の技術は斉藤仁にしか出来ない」
(内柴 正人)
◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信
内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。
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うちしば・まさと
1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。
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