2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。
これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「金魚を飼い始めた話」。
現在では、まるでプロのように金魚を大量に飼っている内柴氏だが、
なぜそのような趣味を始めたのか、について。
誘われて始めた金魚飼育
「趣味」。
僕は誘われると断れない。
柔術しよう。
グラップリングに出よう。
いろんなものに誘われてきて、
全部、そこそこ こなしてきて半端で止まっている。
しかし、
誘われたら「よし、やろうではないか!」。
そうなってしまう。
ある日、
「正人くん、金魚やらんね?」
から始まった金魚の飼育。
あんまり物事を続ける根気がない僕が、何となく続いているものはというと
もうすぐ3年を迎えるお風呂屋さんの仕事と金魚の飼育である。
何事も最初は難しい
僕は昨年の春から金魚を飼っている。
何事も一つの事を極めるとは難しいもので
はじめは金魚がお亡くなりになられるのです。
水が悪いのか、何が悪いのか。
水替えの時、
元の水槽の温度と新しい水の温度を合わせなければならないのだけど、
これが同じになるまで待てなくて失敗してしまうこともよくある。
待てなくもないのだけど
待てないものである。
それでも、僕が預かった金魚は立派な種類らしく。
もらったという感覚より、預けられたという気持ちが強いものでした。
「ハネる」ことができない
東錦と蝶尾。
東錦は顔がふくらんでいて、背筋に薄く黒い墨のようなものが入る。
今年は自分で孵(ふ)化させて育てているので、全部が全部その形に産まれてくるものではないことを学んだ。
親と同じ色の子どもなんて何千分の一なのだろうか。
たくさんの色の違う金魚が産まれました。
ハネる。
はねるとは、要は価値のない子はいなくなるということ。
いなくなる、どこかにやる、
うーん……。
僕はこの「はねる」作業が出来ずに、うじゃうじゃ飼ってしまっています。
金魚師匠に「ハネれ、ハネれ」と言われるものの、はねることができない。
まず、すべてが同じに見える。
基準が分からない。
三つ尾、袴尾、四つ尾。
実は分かっている部分もあるのですが、もしかしたら「このハネる子でも、将来何者かになるかもしれない」。
ハネた後に戻してしまう
「四つ尾を残す」。
三つ尾とは真ん中が割れてないから三つの尾。
三つ尾は確実にハネ魚。
色が良くても、大きく育っていても、形が良くても三つ尾は三つ尾。
ど真ん中の尾を半分に切っちゃえば四つ尾になるのではないか?
なんて何度となく思ったもの。
そう思ってしまい、ハネながらも元の水槽に戻すのでした。
ハネて、別の水槽に入れて、後で一緒にしてしまう。
一番は、選別から漏れたものをどうしていいのか戸惑ってしまうんです。
殺さなくても金魚って死んじゃうでしょ。
まあ、
1年飼い続けてなかなか立派な魚たちが育ってくれました。
その子たちの子どもが今もうじゃうじゃしています。
(内柴 正人=この項つづく)
◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信
内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。
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うちしば・まさと
1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。
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