【連載「生きる理由」96】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「金メダル後に勝てなくなった話」①

2022年夏、キルギス、熊本の教え子たちと共に。左から2番目のキルギス選手は2022年12月の柔道グランドスラムで再来日した(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「2004年アテネ五輪で金メダル獲得後に、数年間勝てなくなった話」について。
金メダルを獲得して世界一になったはずなのに、
その後は苦戦続き。
2008年北京五輪での連覇に向けて、どのように考え、工夫したのか。
「努力は余るくらいがちょうどいい」という真理に達した道程とは。

 

 

 

「努力は余るくらいがちょうどいい」

俺が2連覇目を目指した時の
話をしようか。

勝負事が終わった時にいつも思うこと。
「もう少しサボれたなあ」


そうして、
何回もそんなことを思うけれど
一つだけ知っていることは
「努力は余るくらいがちょうどいい」。

 

人を投げられるポイントを発見

2022年12月の柔道グランドスラムでキルギス代表になった選手(右)と内柴正人氏。写真は2022年8月(撮影:丸井 乙生)

一度、世界一にもなり
世界一になった日に
人を投げるポイントを見つけてしまって
技が切れる選手側に立ってしまいました。

それまでは
指導を取り重ね、
ポイントを取り、寝技で仕留める。

これは私のスタイルでした。
(二つ組んで立って勝負する戦術はこの頃も変わりません)

 

すべての動きがつながった

趣味で育てた金魚の「蝶尾」(写真:本人提供)

この戦術、セオリーは今も昔も変わりません。

チャンピオンになってからというもの、
技が切れるんですね。

切れる理由は
1つの技がずば抜けている訳ではなく。
やはり組み立て。

組手からステップ、ステップに足技。
重心移動してから切る、
切ってもすぐに持ちながら技を出す、
ステップを踏む。

これらがつながったんですね。

 

一本を狙って取りこぼし続ける

職場の温浴施設でシャワーの修理をする内柴正人氏(写真:本人提供)

そうなると
一本を狙ってしまうんです。
一本を取る技とは
ある意味、粘りが弱くなるところがある。

虎視眈々と指導から積み重ねるスタイルは投げれもしないが(弱い相手は飛んでいく)、投げられもしない。

ここらへんはわかると思います。

1回目のオリンピックを終えてからの3年間は
なかなか優勝出来ませんでした。
何回試合に出ても負ける。

は!と取りこぼす。
あれ!と取りこぼす。

なぜだか負ける。

力が入らない、入れてるんだけど出力が弱い。
相手を組み止められない。

そんな時期が1度目のオリンピックから1年後、
世界選手権の決勝で負けて以来、何年も続きました。


(内柴 正人=この項続く)

 

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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