今回は聖火リレーで参加した。
1964年東京五輪に初出場・男子体操チーム最年少ながら、体操・つり輪で金メダルを獲得した早田卓次は2021年4月、故郷・和歌山県の聖火リレーのスタートを切った。
80歳を迎えコロナ禍での不安もあったことだろう。「郷里に恩返しを」と聖火を片手に沿道の人々に手を振り続けた姿は、57年前と同じく、見る人を勇気づけたに違いない。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
相次ぐ足の怪我…漁師の息子は腕で魅せる
早田は和歌山県の漁師の息子に生まれ、少年時代から櫓を漕ぐ生活の中で、自然と腕の筋力が鍛え上げられていた。その真価が発揮されたのは足の怪我がきっかけだった。大学2年生で右アキレス腱の断裂、1962年には左足を骨折したことを機に、つり輪とあん馬に専念したのだ。
開会式が誕生日!最年少24歳がチームの危機を救う
1964年10月10日、東京五輪の開会式当日に24歳の誕生日を迎えた。そして五輪開幕前に開通したばかりの東海道新幹線に乗り喜ぶ青年が、チームの悪い流れを吹き飛ばし、快挙を達成する。
団体で金メダル獲得に貢献した早田は、個人種目別決勝に進出。団体・つり輪での得点の半分を持ち点とし、決勝の得点を加えて順位が決まる。
持ち点トップは、早田の生涯の師・遠藤幸雄、さらに鶴見修治も決勝に進んでいた。しかし、遠藤が着地で両手をつき、鶴見もミス。さらに、つり輪の決勝と同日に行われた徒手(ゆか運動)・あん馬で、日本は個人種目別金メダルを逃し、チームには悲壮感が漂っていた。
だが、個人種目別・つり輪の最終競技者の登場で空気は一変する。
憧れの先輩方のミスに動揺することなく、自分の演技に集中していた早田は、十字懸垂・上水平・最後の1回ひねり宙返りなど安定した演技を披露し、結果2位と0.05差で金メダルに輝いた。
最年少の度胸がチームを、日本を救った。
57年の時を経ても輝くヒーロー
その後、68年メキシコシティー大会も代表入りし、76年モントリオール大会では日本代表チームリーダー、2004年には国際体操に殿堂入りを果たす。現在は五輪経験者らでつくる日本オリンピアンズ協会の理事長も務め、地元・和歌山県でも体操教室を開きながら、水泳などの運動を欠かさず続けている。
そうして80歳で迎えた2021年4月9日、和歌山県のヒーローは2度目の東京五輪にも名を刻んだ。
(mimiyori編集部)