【五輪金メダリスト連載】そんなつもりじゃなかった五輪連覇~1932年ロス五輪競泳・鶴田義行

 

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

2016年リオ五輪までに日本が夏季五輪大会で獲得した金メダルの総数は142個。

しかし、その中に本人が望んでつかみ取ったものではない金メダルがあるという。

 

1928年アムステルダム五輪で金メダルを獲得した競泳・鶴田義行は、32年ロサンゼルス五輪でも連覇を果たし、2個目の金メダルを獲得した。

オリンピック競泳平泳ぎの連覇は、北島康介と鶴田2人だけの偉業である。

だが鶴田は、その金メダルをもともとは後輩にかけるつもりだったーー。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

 

世界記録樹立も一時は競技を離れた

鶴田は1928年アムステルダム五輪・男子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得し、一躍時の人となった。

29年には当時の世界新記録をマークして絶好調と思われたが、その後は若手も台頭。日本競泳界の第一人者は後進の指導に励むべく、引退を決意し一時は競技から遠ざかった。

 

だが、32年ロサンゼルス五輪・200メートル平泳ぎ決勝の舞台に鶴田はいた。

当時、日本競泳チーム最年長の28歳。

なぜ彼がこの舞台に立っていたのか。

 

 

”弟子”を優勝させるつもりが…

五輪の2カ月前のこと。代表に決まっていた当時16歳の小池禮三に合同練習を申し込まれ、それが良くも悪くも運命を変えてしまった。

国内予選では、小池が圧倒。五輪金メダルの大本命は小池だと日本中に印象づけた。

ところが、本番のロサンゼルス五輪200メートル平泳ぎ決勝。

小池に1秒2の差をつけて先にゴールタッチしたのは、なんと鶴田だったのだ。

 

レース後、銀メダルの小池とともにに表彰台に上がった鶴田は、「小池くんを優勝させるつもりだったが、存外の結果になりました」などと語ったという。

自分のことはさておき、まずは後進を勝たせたい。

その思いで引き受けた合同練習が鶴田を復活させ、覚醒させてしまったのだった。

 

自らの五輪記録を打ち破る

4年に1度の機会に金メダルを狙っていたのは、小池だけではない。世界中のライバルたちが欲してやまない金メダルを獲得した勝負強さは驚異的だ。

そして、自身が4年前の決勝でマークした五輪記録2分48秒8を更新し、2分45秒4の五輪新記録を樹立して再び金メダルを手にした。

 

 

その後は愛知・名古屋市役所勤務や海軍を経て、戦後は夫人の故郷である愛媛県の体育協会理事や水泳連盟の理事長に就任し、水泳教室を開くなど、水泳界の発展に寄与した。

その活躍は2019年大河ドラマ「いだてん」でも取り上げられ、鶴田役を俳優・大東駿介が演じた。 

 

金メダルがハゲた!

もともとは水が苦手。幼少時は兄に近所の川に投げ込まれ、おぼれかけたことをきっかけに水泳に興味を持った。

初めての五輪では長距離移動で調子を崩し、宿舎近くのドブ川を泳いで調整し、結果金メダルを獲得。

2度目の五輪では、練習相手に請われてサポート役で出場、そして金メダルを獲得。

世界中の金メダリストを見渡しても、こんな異色の経歴の持ち主はそうそう見当たらない。

 

アムステルダム五輪で獲得した初めての金メダルは、鶴田が多くの人の手に触れさせていたため、金色がはげて下地の金属が見えているという。

強さと気さくな人柄を併せ持った、世界に誇れる日本人トップスイマーだ。

(mimiyori編集部) 

 

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