“初代アニマル”は70代になってもアニマルだった。
1964年東京五輪・レスリングフリー・フェザー級で渡辺長武は圧勝し世界一に輝いた。
「ワイルド・アニマル」や「スイス・ウォッチ」との異名も取った元祖・霊長類最強の渡辺は、70代になってからも最近まで毎日腹筋500回をこなしていたという。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
石臼で鍛えた体~氷点下30度でうさぎ跳び
56年メルボルン五輪で金メダルを獲得した池田三男は同じ北海道出身、活躍に感化されずにはいられなかった。
旭川市北部の和寒町で石材商の息子として生まれた渡辺は、幼少時から重い石臼を引いて育ち、氷点下30度近い中でもひたすら練習。タックルを磨き上げるべく、現在は練習から消えた“うさぎ跳び”の練習もいとわなかった。
池田と同じ中央大へ進んだ後も、戦後初の金メダリスト・石井庄八などからのスパルタ指導を耐え抜いた。
異名は「ワイルド・アニマル」に「スイス・ウォッチ」
実力が世界に知れ渡ったのは、62年の全米選手権。
全試合フォール勝ちを収め、活躍ぶりから地元メディアに「ワイルド・アニマル」と名付けられた。その直後に優勝した世界選手権では、技の正確性から「スイス・ウォッチ」の異名も取り、圧倒的な強さで世界を魅了していった。
62年世界選手権から連覇して迎えた64年東京五輪。
相手も研究に研究を重ねてきているはずだが、渡辺の強さには手も足も出ず。五輪の全試合で1ポイントも与えない圧勝で、金メダルを勝ち取った。
公式戦189連勝はギネス記録に・46歳で五輪は難しかった
その後大手広告会社に入社。20年後に知人と事業を興すも失敗した。
起死回生を図るべく、88年ソウル五輪出場を目指し全日本社会人選手権に出場するも、46歳、さすがのアニマルも3回戦で敗北した。
しかし、すごいのは、ここでようやく公式戦連勝の世界記録が189でストップしたということ。負け知らずの強さは、ギネスブックにも記録されている。
アニマル渡辺からアニマル浜口へ
それはそうとして、アニマルといえば「アニマル浜口」を想像される方も多いだろう。
実は渡辺はアニマル浜口の名付け親。
現役の頃からお世話になっている八田会長らから、ニックネームを浜口に譲ってやってくれと言われたのだそう。八田イズムの精神修養として、ライオンとにらめっこするだけでなく、オリの中にまで放り込まれた経験もある渡辺は、二つ返事で承諾したという。
言うまでもなく、アニマル浜口は”アニマル”の名に恥じることなく、日本中の人気者になった。その活躍を一番喜んでいるのは、アニマル渡辺かもしれない。
(mimiyori編集部)