【書籍紹介】江本孟紀が残したい“ノムさんの真の姿”とは~「証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと」

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1973年南海-阪急のプレーオフ(大阪球場)で、試合後に野村克也捕手兼監督(左=当時)と握手を交わす江本孟紀 (写真:日刊スポーツ/アフロ)

師の教えはしっかりと受け継がれていた。プロ野球で戦後初の三冠王に輝き、監督時代は「ノムさん」の愛称で親しまれた野村克也氏が、2020年2月11日、84歳で亡くなった。本書『証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと』(宝島社)は、同氏の指導や影響を大きく受けた古田敦也、宮本慎也、江本孟紀、野村克則らプロ野球選手16人の証言をオムニバス形式で紹介している。天国へ見送った今だからこそ話せる愛弟子たちの思いとはー。
 

 

毒舌に隠された尊敬と愛情

「ID野球」で一世風靡した監督・野村克也をまったく褒めない。褒めないどころか「この『クソオヤジ』と思うこともある」「しゃべるのが遅い」「『礼儀作法が一番大事だ』と言って本人が一番できなかった」などと毒づいている。嫌いなのか、だから名監督として認めたくないのか、と勘繰りたくなってしまうが、本書を読み進めると、江本の毒舌には江本ならではの野村に対する尊敬と愛情が込められていることが理解できる。

「一番認められるべきは南海時代」

「一番認められるべきなのは、一緒にやった南海時代なんですよ」
「ヤクルト時代しか知らない人たちが持つイメージとは違う、本当の姿を残したい」

現役時代は投手だった江本は、南海ホークス時代の野村をよく知る1人。1972年に東映フライヤーズから南海へ移籍し、当時は選手兼任監督だった野村と4年間、バッテリーを組んだ。名将である前に名選手。野村は捕手でありながら4番を務めたスター選手であり、ほぼ休みなく出場を続けていた鉄人だった。しかも、これで監督まで担っているのだから、江本が「認められるべき」と主張するのも納得できる。

プロ未勝利だった江本は野村との初対面で、自分が受ければ2桁勝利はできる、と宣告され、実際に移籍初年度は16勝を挙げた。野村だけでなく、江本もチームも一丸となって体を鍛えて頭を使い、当時の強豪だった阪急やロッテにどうやって勝つかと知恵を出し合っていた情景は、後年になってからメディアで騒がれるID野球そのものといえる。

 

エモやんからノムさんへの恩返し

ボヤキのノムさん、故事・ことわざ好きの老将など、最近のメディアがつくり上げた野村のイメージだけで知ってほしくないと願うからこそ、江本はある計画を立てている。それは南海の本拠地だった大阪球場の跡地にある南海ホークスのメモリアルギャラリーに野村克也の偉業を伝える品を展示すること。野村の誕生日でもあった20年6月29日には大阪で行われたイベントに出演し、「あそこ(メモリアルギャラリー)にはノムラのノの字もない。野村さんの背番号19が入った南海ホークスのユニホームで帰ってきてほしい」などと話した。野村の生前から本人にも力説していたというミッションは、決して褒めない江本の最大の恩返しと知って胸が熱くなる。
(mimiyori編集部)