野村が怒らなかった「伝説の投手」
「伝説の投手」と呼ばれる。現役時代は通算37勝ながら、伊藤智仁の鋭いスライダーを武器とした華麗な投球は、今も野球ファンの脳裏に刻まれている。
デビューイヤーだった1993年の前半戦だけで7勝を挙げ、同年の新人王を獲得。右肩の故障に悩まされ続けたが、97年には抑え投手として復活してカムバック賞に輝いた。
野村に怒られ、けなされるやんちゃな選手が目立った90年代のヤクルトにおいて、野村が怒らない、本気で褒めていた数少ない投手でもあった。
試合翌日の言葉が勉強に
本書では、伊藤が試合で打たれても、捕手の古田ばかりが激しく怒られていたというベンチ裏のエピソードが明かされている。
その定番シーンを尻目にいつも帰途についたというが、決して伊藤が“我関せず”だったわけではない。自身が反省すべきことはわかっている。だけど、試合直後は頭がカッカと熱く、とても冷静に物事を考えられる状態ではない。
その現実を野村は知っているから、試合当日は古田を怒るだけで、伊藤には翌日以降にぼそりと考えを伝えてきた。その言葉は伊藤の耳にすっと入り、不思議なほど自然に反省と勉強ができたという。
入団前の野村ノートをコピー
時には数時間にも及んだヤクルト春季キャンプの名物、野村の講義を「面白かった」と振り返る。当初はメモを取ることだけに必死だったが、野村の言葉で知る野球の奥深さにどんどん引き込まれていった。
それまで漠然と考えていた野球を文字にされることで、理解がぐっと深まることを知った。だから、講義内容を記したノートはずっと保管した。
伊藤が入団する以前の90~92年分は、頼み込んでコピーをもらっている。野村は晩年まで、伊藤が短命に終わったのは自身が監督として酷使したからだと悔やんでいたとされるが、伊藤を怒らなかった理由がそれだけではなかったことが見えてくる。
野球談議で恩返し
現役引退後は指導者に転身し、ヤクルト投手コーチ、BCリーグ・富山監督を経て、現在は楽天の1軍投手コーチを務めている。
指導者になってからは、野村との野球談議が一層楽しくなったという。本書では、東京ドームでの仕事を終えたはずの解説者・野村が、試合中のブルペンでコーチの伊藤と出くわし、そのまま立ち話で盛り上がったという一幕について語っている。
野球の言葉と文字が教え子に理解されることが、野村にとってどれほど楽しいことだっただろうと考えさせられる。
(mimiyori編集部)