38歳・プロ20年目の男。
プロスポーツ選手としては集大成の時期、体と相談しながら幕引きを考える人がほとんどだろう。
だが、21年目からの活躍の場を求め、決断を下した男がここにいる。
プロ野球選手・内川聖一だ。
今季限りでソフトバンクを退団し、来季からの他球団での現役続行を模索する。
現在は人生で言えば、「谷」なのかもしれない。
しかし、長いプロ野球人生には華やかな「山」もあった。
書籍「証言 イチロー 『孤高の天才』の素顔と生き様」(宝島社)によると、野球を続けられた理由の1つに、あのイチロー氏(マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)の言葉がある。
メッセージの重みを胸に、プロ野球選手・内川の“年表”は、これからも続いていく。
中学時代にサインボールをもらったスターとWBCで抱擁
内川の宝物は、イチロー選手のサインボール。「聖一様へ」とサインを記したイチロー氏と、人づてにそれを受け取った中学生の内川。2人がのちにWBC決勝で熱い抱擁を交わすことになろうとは、誰も想像できなかったに違いない。
2009年3月の第2回WBC決勝・韓国戦、そこまで打率・333と大活躍の内川とは対照的にイチロー氏は打撃不振で苦しんでいた。
しかし、追い打ちをかけるかのように、勝負の場面は容赦なくやってくる。
9回裏に土壇場で追いつかれ、迎えた延長10回表。無死から内川が右前打で出塁し、その後内川は三塁に到達した。ここでバッターは、イチロー氏。
「イチローさんなら最後に打ってくれると信じていました。そこはファンのみなさんと同じ気持ちでした」
内川の思い、日本中の期待は見事に実った。イチロー氏の中前適時打で、三塁走者の内川が本塁生還し、これが決勝点に。WBC連覇を飾り、2人は熱い抱擁を交わした。
最初の会話は“確信犯”的な「昨年の打率は?」
10歳ほど歳が離れた2人の出会いは、2009年2月。第2回WBC前に宮崎で行われた侍ジャパンの合宿だった。
「ウッチー、昨年の打率は?」
「打率は3割7分8厘でした」
「うわー、やっちゃったなぁ」
最初は話ができるとも思っていなかったイチロー選手に、まさかの初対面ウッチー呼び。
08年に右打者最高打率をマークした内川を、イチロー氏が見逃すわけがなかった。
憧れの選手が気さくに話しかけてきてくれた瞬間は、内川がイチロー氏に引き込まれた瞬間でもあった。
バラエティ番組の話をしたり、打撃論も交わしたり。
「技術以外でも見習うべき点がたくさんありました。自分のパフォーマンスを最大限発揮するための準備ですね。初動負荷トレーニングなどイチロー選手が取り入れていたトレーニングを自分もやりました」
初対面で、あのイチロー氏と会話ができる内川選手も、やはり一流の選ばれしプロ野球選手なのだろう。
第3回WBCのバッシング
そんなイチロー氏との出会いを経て、内川は7年連続打率3割をマークし、横浜(現・横浜DeNA)からソフトバンクに移籍後の11年には、史上2人目となる両リーグでの首位打者に輝いた。さらに18年にはプロ通算2000安打を達成するなど球史に残る安打製造機として成長を遂げた。
しかし、順調に見える野球人生の中で、どん底を味わったこともあった。
13年の第3回WBC準決勝・プエルトリコ戦で、2点を追う8回1死一、二塁という場面。
一塁走者だった内川は重盗を試みたが、二塁走者・井端弘和の帰塁に気づかず走塁死した。
結果、日本は敗北し、WBC3連覇を逃した。敗戦の責任を背負い込み、厳しいバッシングも受け、精神的に大ダメージを受けた。
そんな内川を救ったのは、イチロー氏の言葉だった。「あそこであのスタートができる。すごいこと。だいたい(スタートを切らず)止まることを選択する。自分にあれができたかというと、その自信はなかなかない」
このコメントを新聞で見た内川は生き返った。そこからの活躍は言うまでもない。
自己実現から”誰かのために”
円熟期を迎えた内川が今、野球に取り組む理由は、自分のためでなく、喜んでくれる人のためだという。
若い時は自己実現に夢中だ。しかし、人は年々、仲間と喜びを分かち合い、裏方さんが報われることに軸足を置く。
17、18年は度重なる故障で100試合以下の出場にとどまり悔しい思いをした。
19年にはベテランとして開幕から故障者続出のチームを引っ張り、チームの日本一に貢献した。史上初のシーズン守備率10割も達成し、悲願のゴールデン・グラブ賞(一塁手)を初受賞した。
プロ20年目の20年シーズンは、一度も1軍昇格がなく苦しんだ。出場機会を求め、来季は他球団での現役続行を希望し、ソフトバンクを退団することを決意した。
輝かしい成績を残したベテランが、常勝軍団に固執せず、新たな道を探り始めた。まだ気持ちがはじけていないことの表れだ。
通算2171安打は現役最多。まだまだ伸ばし続けてほしい記録だ。
活躍の場はいずこに……早くも来シーズンが待ち遠しい。
(mimiyori編集部)