これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。今回は「いきなり!ステーキ」を運営する株式会社ペッパーフードサービス・一瀬邦夫社長について紹介する。
手軽に厚切りステーキを堪能できる「いきなり!ステーキ」が窮地に立たされている。2013年の1号店オープンから3年足らずで100店舗達成、17年から19年11月までには店舗数を4倍に増やしたが、既存店売上高は18年に急降下。20年1月までに、全体の1割に当たる44店舗が閉店することを発表した。創業者の一瀬邦夫社長にとっては正念場だが、同社長の“出店しすぎてピンチ”はこれが初めてではない。数々の難題に向き合ってきたステーキ人生をのぞいてみると、今回も逆境をはねのけてしまうような気がしてくる。
事件続くも社名、店名変更せず
2007年には大阪の店舗で起きた女性客への暴行事件、09年にもO-157の食中毒事件が発生し、大きなピンチを迎える。信頼回復に努めていく中で、一瀬は後のヒット商品となる厚切り肉の「ワイルドステーキ」を発売。さらに、12年3月に「ペッパーランチダイナー」を上野のUENO3153店をオープン。従来のペッパーランチに比べてメニュー数を増やし、幅広い年代に向けた店舗とし、少しずつながら業績を回復させた。その後、ペッパーランチでは大きな肉の塊をイメージしたメニューを次々と開発。肉ブームの追い風を受け、「いきなり!ステーキ」の人気につなげていった。
「これまで多くの人が社名や店舗名、看板を変えるべきだと言った。だが、私たちはこの看板で復活したかった。上野に大きな看板を掲げることで、「ペッパーランチ」はまだ死んでいないことを伝えたかった」
この記録帳をつけるにあたり、日中はiPhoneのボイスレコーダーを使用している。思いついたアイデアを声で録音しておき、夜、記録帳に書き留める。「次から次にひらめく時もあるので、その時はボイスレコーダーに入れておく」。また、iPadも持ち歩き、メモを書き入れている。
同社では、全国各店舗のリアルタイム映像を携帯でチェックできるシステムがあり、一瀬は毎日スマホで各店舗のホール、厨房の様子を観察している。店の情報についても、ツイッターやフェイスブックなどSNSで積極的に情報発信し、時には自分自身でも投稿する。IoT化の推進は一瀬の強い意思。「ネットで物事を考えることは当たり前だと思っている」と話す。
そんな母からの教えの1つに「枯れた植木に人は水をやらない」という言葉がある。「不幸を語ると、人は巻き込まれたくないから近寄らないようになる」。逆に言えば、自身が青々とした植木であれば、たっぷりと水をくれる人が必ず現れるということ。だから、どんな苦境にあっても一瀬は弱音を吐かない。いきなり!ステーキが窮地に立たされている今も、その姿勢は変わらない。
「一生かかっても味わうことができないかもしれない“店をつくる”“上場する”“家を買う”……これを味わうことができたのも、おふくろが俺を作ってくれたからこそ」
19年まで突っ走ってきた拡大路線から、原点回帰による既存店の立て直しが急務となる20年。天国の母は息子にどのような舵を取らせるのだろうか。
(おわり=mimiyori編集部)
一瀬邦夫(いちのせ・くにお)
1942年10月2日、静岡市生まれ。母親との2人暮らしを経て、高校卒業後、東京の洋食レストランやホテルでコックの修行を始める。70年に独立し、『キッチンくに』を開業。85年には、有限会社「くに」を設立し、のちに4店舗の直営店を展開。94年には低価格ステーキ店「ペッパーランチ」をスタートさせた。現在は、国内外で主力のペッパーランチ事業を展開するほど、オーダーカットステーキ店の「炭焼ステーキくに」、とんかつ店の「かつき亭」などのレストラン事業、「冷凍ペッパーライス」等の商品販売事業を行っている。13年にオープンした斬新な立ち食いステーキ店「いきなり!ステーキ」は、3年足らずで100店舗以上を展開した。ペッパーフードサービス株式会社代表取締役社長。
最大の経営危機を乗り越え号泣
09年にO-157の食中毒事件が発生した際は、フランチャイズの売り上げが激減したことで、FC各店に数億円の資金を調達した。この結果、本体の資金繰りが立ちいかなくなってきた。監査法人から「事業継続への疑義」(ゴーイング・コンサーン)を注記され、経営危機に直面。それでも一瀬は「海外事業の好調」を支えに資金を手当てし、11年12月決算で黒字を実現、12年2月に注記を解消した。「頭では何とか良くしようと考えるが、そんな時期は人と口もきかないようになる。そうすると、従業員は辞めていく」。注記を解消した12年2月にパーティーを開催した際、一瀬は出席者らの前で号泣した。
「仕事の記録帳」を欠かさない
20年以上も続けている習慣がある。毎晩11時頃にはネタ帳、もしくはアイデア帳ともいえる「仕事の記録帳」をつけている。思いついたアイデアだけでなく、夜のうちに翌日の計画も書きつけるため、1冊で10カ月はもつ分厚いノートを活用する。
この記録帳をつけるにあたり、日中はiPhoneのボイスレコーダーを使用している。思いついたアイデアを声で録音しておき、夜、記録帳に書き留める。「次から次にひらめく時もあるので、その時はボイスレコーダーに入れておく」。また、iPadも持ち歩き、メモを書き入れている。
同社では、全国各店舗のリアルタイム映像を携帯でチェックできるシステムがあり、一瀬は毎日スマホで各店舗のホール、厨房の様子を観察している。店の情報についても、ツイッターやフェイスブックなどSNSで積極的に情報発信し、時には自分自身でも投稿する。IoT化の推進は一瀬の強い意思。「ネットで物事を考えることは当たり前だと思っている」と話す。
母の教え「枯れた植木に人は水をやらない」
12年に他界した母・やゑさんは晩年、3年ほど施設で過ごしていた。毎週日曜日に一瀬が見舞いに訪れるたびに、母は「くにちゃん、帰りたいよ」と言っていた。また、亡くなる直前には「くにちゃん、ごめんね。遺して逝く私がつらいよ」と言い残していった。
そんな母からの教えの1つに「枯れた植木に人は水をやらない」という言葉がある。「不幸を語ると、人は巻き込まれたくないから近寄らないようになる」。逆に言えば、自身が青々とした植木であれば、たっぷりと水をくれる人が必ず現れるということ。だから、どんな苦境にあっても一瀬は弱音を吐かない。いきなり!ステーキが窮地に立たされている今も、その姿勢は変わらない。
「一生かかっても味わうことができないかもしれない“店をつくる”“上場する”“家を買う”……これを味わうことができたのも、おふくろが俺を作ってくれたからこそ」
19年まで突っ走ってきた拡大路線から、原点回帰による既存店の立て直しが急務となる20年。天国の母は息子にどのような舵を取らせるのだろうか。
(おわり=mimiyori編集部)
一瀬邦夫(いちのせ・くにお)
1942年10月2日、静岡市生まれ。母親との2人暮らしを経て、高校卒業後、東京の洋食レストランやホテルでコックの修行を始める。70年に独立し、『キッチンくに』を開業。85年には、有限会社「くに」を設立し、のちに4店舗の直営店を展開。94年には低価格ステーキ店「ペッパーランチ」をスタートさせた。現在は、国内外で主力のペッパーランチ事業を展開するほど、オーダーカットステーキ店の「炭焼ステーキくに」、とんかつ店の「かつき亭」などのレストラン事業、「冷凍ペッパーライス」等の商品販売事業を行っている。13年にオープンした斬新な立ち食いステーキ店「いきなり!ステーキ」は、3年足らずで100店舗以上を展開した。ペッパーフードサービス株式会社代表取締役社長。