【経営哲学】スーパーホテルが成長したワケ②山本梁介会長の反省とは?

 

国内158店舗目の富山・射水店 スーパーホテル

スーパーホテルが20年12月に国内158店舗目としてオープンした富山・射水店

(写真:スーパーホテル報道資料より)

「宿泊するだけで、健康になれるホテルがあります。もしぐっすり眠れなかったら返金します」

と聞いたら、あなたは信じますか?

外国の新手の詐欺かと思いきや、実は日本生まれ日本育ちのビジネスホテルチェーン「スーパーホテル」のこと。

「安全・清潔・ぐっすり眠れる」をコンセプトに、1泊5000円からという低価格帯&オリジナル寝具で全国展開し、業界屈指の高稼働率・リピーター率を誇る。

J.D.パワー・ホテル宿泊客満足度調査の「1泊9000円未満部門」では、2019年までに6年連続第1位を受賞し、競合必至の分野で話題となっている。

価格だけでなく、環境と健康に配慮したビジネスモデル「ロハス」や、二酸化炭素を出さないエコプラン「エコ泊」、オーガニックなアメニティなどSDGsへの取り組みも積極的に行う。

そんな”人に・環境に優しい”サービスの原点には、二度も社員から見切られた創業者・山本梁介会長の“先見の明”があった。

第2回は山本会長が若かりし時代、失敗したエピソードについて。

 

 

 

 

幼少時は「ぼん」と呼ばれる 

山本家はもともと、大阪の商人町・船場で繊維商社を手がけていた。

1890年に山本会長の祖父が創業し、戦前までは国内屈指の綿花商として名を馳せた。

事業成功の秘訣は、祖父が目をつけた原綿を船から陸揚げする時の「落ち綿」にあった。

それを洗って乾燥させて売り、自前の紡績工場では、原綿の相場変動を見ながら糸販売も手掛け、事業基盤を築いた。

中国など海外にも積極的に進出し、婿養子だった山本氏の父が2代目となり、事業をさらに伸ばした。

 

山本氏は母に連れられて会社によく顔を出した。

番頭からは「ぼん」、女性事務員からは「坊ちゃん」と呼ばれ、運動会やマツタケ狩りといった会社の行事にも参加し、物心ついた時から事業は身近にあった。 

 

 25歳で家業の3代目就任

 

 

 

新しい経営理論を意欲的に学んだ大学時代を経て、修業のため父と懇意の幹部がいた大阪の繊維・化学品を扱う商社に入社した。

若くして、自ら提案したデザイン性の高い女性用下着が大手メーカーの目に止まってヒットし、成功体験になった。

さあこれからという時、2代目社長の父が体調を崩したため家業の会社に戻り、その約1年後25歳で3代目社長に就任した。 

 

「今思えば、経営を知らないごう慢な若者だった」 

80年続いた家業の会社は、山本氏が継承後わずか4年で幕を下ろした。

山本氏は新しい取り組みとして「誰にもできないほど生産性を上げよう」と発想し、得意先のABC分析を導入した。

 

業績グラフを社内に張り出し、経営書も100冊以上読破するなど意欲的に改革に取り組んだことが逆にあだとなった。

改革を急ぐ山本氏に、古参幹部らは「社長の言うことは分かるが、現実にはそうはいかない」と伝えたが、そのたびに「押しつけ方が足りないからだ」と考え、さらに厳しい態度で臨んだのだ。

「リーダーシップとは責任感の大きさなのに、当時は権利や権限で押しつけることだと誤解していた」

 

(つづく=五島由紀子 mimiyori編集部)

 

 

 

※これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラムです。

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