【プロ野球】韓国のイチローと呼ばれた親子鷹~元中日・李鍾範、政厚親子

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韓国のイチローと呼ばれた元中日の李鍾範(イ・ジョンボム=写真:アフロ)

2019年11月に野球のプレミア12が開幕する。最大のライバルとなる韓国を視察した侍ジャパンの稲葉篤紀監督は、“韓国のイチローJr”を要警戒選手の1人に挙げた。かつて中日ドラゴンズでプレーした李鍾範(イ・ジョンボム)の長男、李政厚(イ・ジョンフ)は現在、韓国代表の主軸を務めている。

 

 

日本初の韓国プロ野球出身野手

「韓国のイチロー」や「風の子」などと呼ばれ、俊足巧打を武器に李鍾範が中日入りしたのは1998年。韓国からは、すでに96年に「コリアン・エクスプレス」と称された投手の宣銅烈が加入していたが、同国プロ球界から日本へ移籍するスター野手としては初めて。日韓の注目を集めていた。 

死球で右肘粉砕

移籍1年目の開幕戦には「1番・遊撃」でスタメン出場。当時の日韓プロ野球のレベル差に苦労しながらも、日本人が忘れかけていたファイトを前面に押し出すプレースタイルは名古屋のファンの心をわしづかみにした。しかし、開幕からわずか3カ月後の6月末に、阪神の川尻哲郎から右肘に死球を受けて骨折。手術と長期離脱を余儀なくされた。 

肘当てを右から左へ

シーズン中に復帰を果たしたものの、開幕当初に見せていた打席での思い切りのよさは完全に消えていた。その理由を、翌99年4月に「肘当て」で知った。術後、「あんなに痛い思いはもう二度としたくない」と打席では骨折した右肘を肘当てでガードしていたが、突然、左肘に着け変えた。

「韓国で良かった時のフォームで打てないよ…」

野球技術を細かく語るほど、日本語を完ぺきに操れたわけではない。それでもバットを手に、身振り手振りで不振の理由を説明し始めた。本来は左利きだが、幼少時代に左利き用のグローブがなったために、野球は右投げ右打ち。韓国での好調時は、右腕を折りたたみ、来た球に右ひじごとぶつかっていくような振りが打撃スタイルだった。
だからこそ、右肘を痛めるリスクが高く、実際に川尻に左肘ではなく右肘を砕かれている。ファンを魅了した大胆なスタイルの代償は大きく、骨折だけでは終わらずに、「死球の恐怖」という見えない後遺症を残していた。 

 

消えない死球の恐怖

本人は同じようにバットを振ろうとしているのに、どうしても体がいうことを聞かず、右肘が前に出てこない。

「特にシュートやシンカーにまったく手が出ないよ」

内角に来たストライク球を、右肘を後ろに下げるような格好で見逃す姿が目立った。

「これじゃ、右肘にボールが当たるわけがない。だから左にはめてみた。意味があるのか、ないのか…」

そう言って、何となく寂しそうに笑っていた李の肘当ては結局、中日を退団する01年まで左肘に着けたままだった。500円玉大の円形脱毛斑を指差しながら見せてきたこともある。99年のリーグ優勝に主力として貢献したが、心の葛藤との闘いは、最後まで続いていたのだろう。 

42歳まで現役

新外国人選手の加入などで押し出される形となり、01年のシーズン途中に韓国へ帰国した李は、その後、古巣の起亜(前ヘテ)で復帰。42歳だった12年3月まで現役を続けた。 

 

韓国のスーパールーキー

長男の李政厚は父親の中日時代に生まれ、3歳まで名古屋で過ごした。当時の記憶はまったくないという。右打ちだった父とは違って、左打ちの外野手。父親は野球をやることに反対していたとされ、唯一、右利きの息子に教えたことが、左で打て、だった。 高校卒業後の17年に韓国でプロ入りし、1年目から安打製造機として活躍。韓国の新人最多安打、最多得点記録などを塗り替え、韓国代表にも選ばれている。 

宣監督と李親子に注目

現在の韓国代表は中日の元守護神・宣銅烈が監督を務め、李鍾範がコーチの1人として支える。名古屋での記憶はなくても、父の葛藤を最も近く、肌で感じてきた李政厚がどのようなプレースタイルを見せるのか。稲葉監督と同じように警戒しながらも、楽しみにしている。
(砂田 友美)