第一印象は最悪だった
最悪の第一印象だった人が、いつしか人生最良の友になることがある。山﨑武司にとって、40歳を目前にして出会った野村がそうだった。野球界ではすでにベテランと呼ばれる域を超え、頭も体も凝り固まっていたおっさん選手の斜陽人生を、1人の老将が魔法をかけたかのように上向かせた。山﨑は、自身の野球観や考え方、野球への取り組み方が野村によってどう変化していったかを本書で詳しく回顧している。
永遠のガキ大将
1986年にドラフト2位で中日に入団した当初から、愛称は「ジャイアン」。山﨑はよくも悪くも“ガキ大将気質”で、人に従うことよりも、人を引っ張っていくことの方が得意だった。自分を頼ったり、認めてくれる人に対しては優しく、義理堅いが、逆に自分に厳しかったり、認めてくれない人に対しては背中を向けてしまう不器用な一面があった。
中日時代は、決して練習の虫ではなかった。96年にセ・リーグの本塁打王に輝いたものの、1軍に定着してから早出や居残り練習をしていたことは少ない。「野球は仕事」と割り切り、試合が終わればすぐにグラウンドを離れ、どちらかといえば趣味の車や時計に熱中していた。
斜陽の中年が2冠王に輝く
そんな永遠のガキ大将が、30代半ばになってからオリックスへのトレードと戦力外通告を経験。ふて腐れた状態で流れ着いた楽天で出会う、「選手に厳しい」「褒めない」「野球が趣味」の野村の印象がいいはずがない。ところが、ある日を境に2人は急速に師匠と弟子の関係になっていく。知られざる二人三脚の結果が、43本塁打、108打点というシーズン自己最多記録で飾った2007年のパ・リーグ2冠王だった。
評価は自分でしちゃいけない
野村に教えられた言葉は数知れないが、そのうちの1つとして「『評価は自分でしちゃいけない』ってことは本当だって気がした」と語っている。ふて腐れを返上したジャイアンはその後、一度は追われた古巣・中日に復帰。長寿だった野村と同じように45歳になる年まで現役を続けた。
(mimiyori編集部)